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大人ではなかった日蓮
大人であることが果たして価値であるか。
周囲の目をうかがい、空気を読むことで、
真実の正義を貫き通すことができるのか。
それに「NO」と言ったのが日蓮だと思う。


日蓮は、徹底的に勉強をした。
コンプレックスからかもしれないが、
血のにじむような努力をしたと思う。
出自は、ただの漁師の息子である。
「漁師の分際で」と何度も言われたことだろう。
だけれども決して自説を曲げずに戦った。


僕らが学ぶべきは、この戦う心意気である。


アンチはよく日蓮は偏っているなどと、
四箇格言を引っ張り出して非難するけど、
特徴をとらえて一言で言い切る
わかりやすい手法を採っただけだ。
「抵抗勢力」と決めつけたやりかたと似てる。
あんなもんはどうだっていいのだ。
本質は別のところにある。
四箇格言は戯れだと思う。
当時の各宗を指して、思いっきり皮肉ったのが、
四箇格言ではないか。ただの道具だ。


空気を読んでおとなしくしているより、
空気なんか読まずに、主張した方がいい。
自らが理想とする社会を建設するためには、
現実に立ち向かい、戦い続けるしかない。


念仏信者のように、
鬱々と世を嘆くだけでは、
この世界は変わらないのだ。


主張して戦えば、必ず逆風が吹く。
それに負けてはいけない。
「空気読めないヤツ」というレッテルを貼られ、
外からも内からも攻撃され弾が飛んでくる。
日蓮が優れているのは、その攻撃にも屈しなかったことだ。
実際に、伊豆に流され、佐渡に流されしている。
今の世の中を嘆くだけの人に、この覚悟はあるか?
ないなら日蓮を批判する資格はないし、
口先だけの惰弱な詐欺師であろう。
「戦う」というのはこの覚悟が必要なのだ。


まず一歩目からはじめてみないか?
「おとなしい」とは「大人しい」と書く。
まずは大人でいることをやめろ。
空気を読まずに、打ち返せ。
保身に走ることなく、不正義には声を上げよ。
そうやって戦わないと、なんにも変わらないのは事実。


日蓮を人本尊とする、とはそういう意味である。
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【2009/02/15 08:21 】 | 未分類 | コメント(12) | トラックバック(0) | page top↑
社会は悪くなってない
「明らかに社会は悪くなっている」と
訳知り顔で言う人がいる。
仏教を標榜しながらそんなことを言う。
今、そんなことを言うのは、
仏教をやってる人間としてどうなのよ、って思う。
彼は人を救おうとなんて思っていない。
自分がいかに勉強したか知識があるかを
ひけらかしているにすぎない。
もし、本当に社会は悪くなっていると
思っているのなら、あるがままに見る力がない。
こういう者はニセモノだと思うぞ。


長いスパンで見たとき、今は調整期だ。
消費は冷え込み一旦下降線をたどる。
そして底を打ったら消費マインドが回復する。
この波のあるがままが人間そのもので、
これをあるがままに受け入れるのが智慧である。


会社が首を切る切らないなんて、たいした問題じゃない。
だいたい会社にしがみつかなきゃ生きていけない
なんて思い込んでるところが仏教的じゃないよ。
今の日本は、やろうと思えばなんだって出来る。
強い意思があれば、共鳴してくれる人が現れる。
チャンスは平等であります。
こんな国、他にはないよ。


だいたい今、この経済危機といわれてる日本で、
誰が一番困っているかといえば、
ついこないだまでウハウハだった
金融屋さんとその周辺じゃないですか。
まともな庶民はそれなりに生きてくよ。


いってみれば、会社で首を切られるような人は、
会社の役に立たないダメ社員だったわけです。
会社に貢献する優秀な社員であれば、
どんなに不況だって、居てほしいと思うはず。


金融で濡れ手で粟のように儲けた者が困る。
会社にパラサイトしている給料泥棒が切られる。
まじめに頑張って成果を出す人が報われる社会。
これが平等で、理にかなった世界だと思う。
これからも、これがどんどん加速していく。
良い方向にどんどん向かっている。


それをなんでことさらに
「明らかに悪くなっている」
というのか。


それは共産主義的価値観から
離れられないからです。
仏教を標榜しているにもかかわらず。
政治的思想と仏教をごっちゃにして、
自らの思想を広めようとしているんです。


仏教者はあるがままの世界に適応しながら、生きていく。
世界が丸ければ丸く、世界が四角ければ四角く。
水のように自在の自分であろうとする。
ゆえに世界を嘆かない。
あるがままにこの世界をみれば、
自分のやるべき仕事が見えてくる。
そこにピタッとはまること。
そうやって生きていこうや。


社会はそんなに変わりはしない。
なぜなら人間はそんなに変わりはしないから。
絶望するほど捨てたもんじゃないよ、この社会は。
社会は人と人とのつながりであり、ちゃんと人情がある。
それが見えないのなら、それは目が曇ってるんだ。
社会を嘆くことは、隣人を嘆くこと。
嘆かず前に進もうよ。
それが幸せへの道です。
【2008/12/28 09:40 】 | 未分類 | コメント(9) | トラックバック(0) | page top↑
不況は布教のチャンス(笑)
アンチさんは「もう学会は虫の息」とか言うでしょ?
でも、そうでもないと思うんだなー。


これは中の人だからそう思うんじゃなくて、
客観的にそう思うんですよ。
アンチさんは、ネットでの学会評しか知らないし、
自分に都合の悪い事実には目をふさぐもんで、
わからないと思うのだが、これから不況になると、
宗教団体のニーズがドンドン高まってくるですよ。
これからドンドン不況になると思うんだけどさ。


宗教団体というのは、要は社会での当然の価値観とは違う
斜め上の価値観をサービスするものなのです。
「世の中カネだ」ってのが、資本主義日本の
価値観だったわけで、そういう価値観で行くと、
カネを稼げる勝ち組の人と、稼げない負け組の人が
どうしても出てきちゃうわけだよ。
究極的に考えると資本主義な論理では
「負け組の人は死ね」ってなっちゃうわけ。
だけど「そうじゃないでしょ、違うでしょ」、
と言ってあげるのが宗教団体の役目。
カネ以外の違う価値観を提供してあげるんだな。


まあこれは、出来る人は、ひとりでも出来る。
自分で思索して、自分なりの価値観をゲットすればいい。
だけど、それが出来ない人が大半なわけ。
そこで宗教団体がその価値観をパッケージングして、
「はいこれどうぞ」って売るわけです。


実は、幸せってのは、人それぞれ違うからね。
「カネじゃない」って気づけば、
その人が幸せになる可能性がある。
たとえばその商品の一例としては、
組織の中で忙しく体を動かすこと、も
学会の提供する商品の中に入ってる。


自分を負け組だと責め、自己否定を繰り返し、
ネガティブな思考に取り付かれている人を、
手っ取り早く救うのは、宗教団体の役目です。
で、たぶんこれからの世の中、そういう人が
どんどん増えていくと思うのです。


創価学会はたぶん衰退しませんよ。
客観的に見れば、日本の宗教団体の中では、
ある程度の地位を持ったブランドですし、
よくできた仕組みを持ってますからね。
【2008/11/17 11:35 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
小室哲哉逮捕は仏罰なんだな
思いもよらなかったけど、
ああ、たしかにありゃ仏罰だわ。
要は浮世離れしちゃいかんってこと。
庶民と触れ合って、庶民の目線をもっていれば、
どんなにカネがあっても浮かれなかったろうし、
おかげさまということを意識できただろうに。
結局は自分を見失った罰だよね。


学会員は、いわゆる組織と関わって、
いろんな人と出会い、つきあって、
そのなかで自分の「分」を知ることが出来る。
それが自前で出来てる人は、特に組織なんて
必要ないのだろうけれど、出来ない人は、
しっかりと組織につくってのもありだな。
要は、まともな人づきあいをしなさいってこと。
「分」を知ることが出来ない人は、
「分」以上の環境と接しなければならなくなったとき、
方向感が見えなくなり、転落し、自滅することが多い。
小室哲哉はどんなにカネを持っていても、
それをちゃんと使う「分」がなかったわけだ。
それにきっと、小室哲哉は孤独だったんだろうな。
調子に乗ってる彼を叱る存在は、なかっただろうし。


彼みたいな人にこそ、宗教が必要なんだと思う。
無宗教を気取った人というのは、いつか道に迷う。
確固とした自分の使命を意識出来ていないから。


まあ、小室哲哉もまだ人生終わったわけじゃないから、
今からでも遅くないので、学会の信心でもはじめたらいい。
身近に学会員の友達がいることだし。
【2008/11/14 07:41 】 | 未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | page top↑
世の中が生きにくいと感じているのは
感情をあらわにしないせいだろうな、多分。
人間だれしも喜怒哀楽を感じるだろうが、
それをちゃんと表現しているか?
溜め込んでいないか?
うれしいときは、喜んではしゃげばいい。
腹が立ったら、怒りをぶつけろ。
悲しいときは、静かに泣けばいい。
楽しかったら、思いっきり笑え。
これらは人間なら当たり前のことなんだ。
だけれども、わかったようなことをいって、
感情の発露を制限しようとするから、おかしくなる。
「謙虚たれ」などと言ってわかったような顔をするけれど、
そんな風に我慢をするたびに、人間らしさから離れていく。


「我慢しないと生きられない」
くらいに思ってる人もいるかもしれない。
でも、そうでもないよ。たぶん、それは錯覚。
我慢せずに感情を発露させ、
それでもみんなに愛されている。
そんな人、身近に思いつくでしょ?
だったら自分がそうなればいいんだ。
そうなれないからといって、理屈を考えたり、
その人をねたんだりするより、
まず、自分がそうなっちゃえばいい。


素直になれば、世の中は生きやすい。
仏とは、決して怒らないとかいうような
非人間的な存在ではなく、
怒りもすれば悲しみもする。
人を傷つけもするし、自らも傷つくこともある。
そんなかわいらしい存在こそが、仏ではないか。
人間が人間らしくいられる以上の価値は存在しない。
だから、仏とは人間そのもののことだと僕は思う。


もっと感情のおもむくままに生きていいんだよ。
そうすることで、自分をとりまく世界だって
変わっていくんだ。
自分を縛っているのは環境なんかじゃなく、
いつだって自分自身。
【2008/11/01 19:44 】 | 未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | page top↑
学会はセーフティネットなんだけどな
このへんをヒントに思ったことなんだけど。
http://blog.tatsuru.com/2008/10/15_1715.php



実は創価学会というのは、
家族を持たない者のための
精神的なセーフティネットなんだよね。


現代の日本においては、
家族の絆が希薄となり、
個人主義が蔓延してしまっている。
そのため疎外感を感じ、孤独に陥り、
残酷な事件を起こしてしまったり、
自らの命を絶ったりしてしまう人が
生まれてきてしまっているのだろう。


そんな人にとって必要なのは、
その人を無条件で肯定してくれるような
存在ではないかと思うんだよ。
その人を決して無視せず、
認め、評価し、対話する。
そんな人間対人間の暖かい家族ではないか。
創価学会というのは、
そういう者にとって家族となりうる組織である。
本当に孤独になって絶望している者こそ、
創価学会のありがたみがわかる。
それは仏教の精神とも違っていない。


実はアンチというのは、そういう学会に
頼らなくても済む恵まれた幸せ者なのだ。
アンチというのは、実は強者なんですよ。
実は暖かい家庭に育ち、
不自由無く過ごしてきたのだろう。
そんな人間には、学会は必要ないし、
ただの気持ち悪い異物にしか映らない。
そしてその思いから、創価学会を攻撃する。


彼らはいつだって上から目線だよ。
恵まれている立場から、
恵まれていない立場の学会員を
見下し、蔑み、下品だと馬鹿にする。


どん底まで落ち込んで、
学会が最後の希望だった者、
いっぱい居ます。
そんな人にとって、創価学会は、
自分を愛してくれた大切な存在だ。


そんな人の気持ちも、
きれいな服を着、知性的に、
すました顔をして、
土足で踏みつけるのがアンチです。


ひでえなーって俺は思うんですよ。
【2008/10/15 19:28 】 | 未分類 | コメント(10) | トラックバック(0) | page top↑
迷惑かけたっていいじゃないか
たいていにおいて、不幸になる人というのは、
人に迷惑をかけるということを極端に恐れる。
たぶん、プライドが高いのだろう。
迷惑をかけて、頭を下げるということを、
屈辱に感じるのかも知れない。
だから、迷惑をかけないようにかけないように、
自身の行動を制限し、不自由になり苦しむ。


そもそもこの世界は、人と人とが迷惑をかけあっている。
迷惑をかけることがなくなることはない。
迷惑をかけるところが、まずスタートだと思っていい。
そこから、謝ったり、説明して理解してもらったり、
そんなことをしながら、互いに理解が深まっていく。


「こんなことしたら迷惑かもしれない」
そんな、間違った想像力の使い方をすることで、
あなたの選択肢がどんどん狭まっていく。


まずは、自分のやりたいことをやってみるべきだ。
話はまず、それからだ。
「人に迷惑をかけない」なんて、実は美徳でもなんでもない。
そこに気づかないから、世界が窮屈に思えるのだ。
「迷惑をかけてはいけない」というのは、デマだとさえ思う。
この世界の秩序を破壊されては都合の悪い人は多い。
そんな人が、道徳として流布したのが、
「迷惑をかけてはならない」である。


人の迷惑なんてかえりみず、
やりたいことをやりたいようにやれ!
たぶん、そのくらいの気持ちでいたほうが、
世の中楽しく生きられる。


自由な人は、人に迷惑をかけてもいいと思っている。
そしてその迷惑から、調整していけばいいのだ。
人は人に迷惑をかけることで、つきあいが始まり、深まる。


そうはいっても、迷惑をかけあわない社会が、
現実にあらわれはじめてきてしまった。
この社会が、息苦しく感じてしまうのは、
迷惑をかけあってもいい、という寛容さがなくなったからだ。


自分が人に迷惑をかけてもいい、と開き直ることで、
人が自分に迷惑をかけられたときも、寛容になれる。
迷惑をかけてはならない、と思っている人は、
他人からの迷惑に対して狭量であり、すぐ怒る。
いや、当人に怒るならいい。匿名でチクる。


迷惑をかけられることを嫌がる人は、たいてい陰険だ。
「迷惑かけられてもまーいっかー」って人は、明るい。
その違いが、幸せを呼び寄せるか、不幸を呼び寄せるかの
違いとなってあらわれるのである。
【2008/09/10 12:12 】 | 未分類 | コメント(7) | トラックバック(0) | page top↑
平等主義者という悪魔
この世界が平等でないことを嘆き、
平等にするべきだと主張する者が居る。
格差は悪であり、なくすべきものであると言う。
責任に応じた報酬を否定する。
リスクを取る者も取らずにいる者も、
同じ処遇であるべきと言う。


決められた時間を働くだけで、
自動的に同じ給料が支払われる世界。
たとえミスをしてもペナルティは発生しない。
ただ所定の時間をただ作業をして過ごしても、
リスクを取って挑戦的に仕事をしても、
なにをやっても報酬は同じという世界…。


最低だと思う。
どこに面白さがあるのか。


本当にそう思うのなら、刑務所にでも入ればいい。
塀の中では、社長も、社員も、派遣も、バイトも、
そんなのは取り去られ、みんな平等に扱われる。
平等主義者というのは、つまり、この世界を
刑務所にしようとたくらむ者なのだと思う。


格差の無い社会、平等な社会……想像してみな。
ホントにつまんない社会だと思うよ。
【2008/09/09 15:33 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
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