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「取り囲み逆折伏」ってのがあると思うよ
アンチの掲示板に迷い込んできた学会員に、
「学会はカルトだからやめるべき」と、
アンチは寄ってたかって言うよなぁ。
あたかも、取り囲み折伏のように。


「創価学会にもっと悪くなって欲しい」
という教義を持っているアンチ教の方が、
よっぽどカルトだと思う今日この頃いかがお過ごしでしょうか。
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【2005/10/31 19:17 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
悪にでもなっちゃうわけよ
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる
(中島みゆき『空と君のあいだに』)



愛の正体って、こういうことなんだよなぁ…。
今日はなんだか愛について考える日~(笑)。
【2005/10/30 19:57 】 | 未分類 | コメント(7) | トラックバック(0) | page top↑
俺の中の豪快さん
俺の中に、たくさんの人が棲んでいるわけだが、
そのうちの一人に、豪快オヤジが居る。


俺が沈んで、しょんぼり同じことをぐるぐる考えているとき、
酒の入った赤ら顔でやってきて、ばんばん俺の肩を叩き、
「もがき苦しめ、青年っ! がはははは」
こんな風に言うんだ。
こっちは深刻に悩んでるのに、大笑いしやがる。


デリカシーないなぁって思うけれど、実はこういうのが助かる。
センチメンタルに浸ってる俺をぶっ壊してくれる。


こんな豪快なオヤジが俺の中に棲んでいるから、
俺はきっと健康でいられるんだ。
ありがとよ、って思う。
【2005/10/30 19:40 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
宗教と愛と絶対と。不毛にコネコネしてみるテスト。
宗教っていうのは「イズム」であり、「思い入れ」であり、
「愛」なんだよなぁと思う。
まあいろいろな側面を持っているものなんだけれども、
結局「なにを愛するか」ということだと思うんだよ。


人によっては、家族こそが御本尊だろうし、恋人こそが御本尊だろう。
それは「絶対」なわけです。
「絶対」大切にしたいもの。
仏教的に言うならば、「絶対」を設定出来ないことはわかってる。
だけど、そこで敢えて「絶対」って言いたい心が、人にはある。
僕はそれを否定したくない。


「『絶対』という言葉は使っちゃいけない」という人も居る。
まあ言葉のあやなんだろうけれども、
僕は「絶対」という言葉を使うことを禁じ手としたくない。


自分の子供にむかって
「私はあなたを『絶対』守ってみせる」と言う。
そんな愛の言葉を否定したくはない。


学会にはいろんな学会員がいるけれど、
「池田名誉会長を『絶対』守ってみせる」
って人もいるわけだ。
だとすれば、はたしてそんな思いを持つ学会員を、
一概に否定出来るのだろうか?


自分の子供かわいさに、自分の子供をひいきする親。
この親を責められたものだろうか?
「あらゆるひいきは良くない!」
とかやり出すとやっぱそいつは厨でしょ。


親は子供かわいさに、子供をひいきする。
学会員は学会員かわいさに、学会員をひいきする。
構図は同じような気がする。
ゆえに「学会家族」という言葉が存在する。


親の子に対する、ひいきを認めたとすれば、
学会員の同志に対する、ひいきも認めてよいはずだ。
となると、結局は程度の問題になっちゃうんだな、これが。


同志がいじめられてる事実を知れば、やっぱり声も荒くなる。
相手に犬畜生とも叫びたくなる気持ちはわからんでもない。
事実を知らない人からみれば、ただの口汚い言葉にしか映らない。


過剰なひいきと、適切なひいき。
どこで線をひくのか。


言葉にするということは定義をするということで、
割り切れないものも割り切って考えることになる。
でも、こんなの線引き出来ないよねぇ…。


ちなみに、「絶対」に似た言葉に「永遠」がある。
自分の最愛の人にむかって
「君との愛は『永遠』だよ」と言う。
そんな愛の言葉を否定したくはない。
「永遠なんて無い」と言い切っちゃうところに愛はないだろう。


「愛」が、なにかとトラブルの原因になる。


「宗教思想によって悲惨な戦争が起こされた事実はあるが、
宗教思想によって悲惨な戦争が収められた事実はない。」
というくだりを思い出したんだけれど、
「宗教思想」を「愛」と差し替えることも出来そうな気がする。


「愛によって悲惨な戦争が起こされた事実はあるが、
愛によって悲惨な戦争が収められた事実はない。」
書いてみて思うが、その通りのような気もしないではない。


じゃあ、「愛っつーものをなくそうぜ」ってことが人間に可能か?
広義での戦争、つまり争いごとは、「愛」ゆえに起きる。


仏教は「執着を捨てよ」という。
「愛」こそ、執着の最たるものだ。
じゃあ「愛を捨てよ」ってことになっちゃう。


まあつまり、「執着はしちゃいかん」というタテマエがあって、
それでも愛してしまうホンネがあることが、
人間の人間たるゆえんがあるわけで。


あなたの向うであの人があなたの
片手を強く抱きしめている
このまま私が手を離さなければ
あなたの腕がちぎれてしまう
それが辛くて手を離すそんな
愛し方しか出来ずに ごめんなさい
(さだまさし『forget me not』)



手を離すことが愛か。
手を握り続けることが愛か。
腕がちぎれちまったら本末転倒だわな。
でも、じゃあだからといって手を離しちゃえば、無くなってしまう。
「だったらいっそのこと心中する」って愛のカタチもある。
自爆テロってそういうことだよな。


「愛」が一番残酷で、一番哀しくて、
使い方しだいで、毒にも薬にもなる。
悲惨な戦争は、愛によって起こされるけれども、
なにによって収められるんだろう。


愛を信じるものとしては、
「やっぱ愛しかないのかなぁ」なんて思っちゃうわけ。
だって、愛はヤバイって言われても、愛しちゃうもん、俺。
【2005/10/30 11:42 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
南無妙法蓮華経というプロトコル
南無妙法蓮華経という題目っていうのは、
学会員にだけ通用するプロトコルなんですよ。
学会員同士に通用する「題目送るよ」っていう常套句は、
「良くなることを祈ってるよ」という言葉に置き換えられるだけ。


同じ学校出身のヤツっていうだけで、
親近感が沸くってこと、あるよね?
「学会員」っていう肩書きは、それと同じなわけ。


方便品自我偈が唱えられるというのは、
その学校の校歌が歌えるってだけの話。
三色旗は校旗だよ。


それがきっかけとなって、
たとえば仕事つきあい出来るなら、
それでオッケーなんです。


人と人とが、つきあうきっかけとして創価学会がある。
言ってみれば「出会い系」ですね。


そのきっかけを、いわゆるアンチの人も利用してるんです、実は。
アンチがアンチ同士でつるむことが出来るのは創価学会のおかげ。
「創価学会が憎い」というプロトコルなんですな。
アンチもつまりは「出会い系」なんです。


だからアンチは、創価学会がなくなってもらっちゃ困るわけです。
【2005/10/30 07:36 】 | 未分類 | コメント(6) | トラックバック(0) | page top↑
組織他力信仰
念仏系とかの他力信仰の人っていると思うけれど、
まあわからんわけでもないのよ。


「僕らはみんな、大いなる自然に生かされている。
だから大いなる自然に抱かれた安心感を抱きながら、
今、自分の出来ることをやろう」
って感じの運用のしかたをしてると思うんだ。
それで元気になれるんだったら、全然オッケーだと思うよ。


で、
多くの創価学会員は、教義なんてどうでもいいと思っていて、
創価学会という組織を信じてるとも言えるわけなんだけど、つまり、
「僕らはみんな、大いなる創価学会に生かされている。
バックに巨大な組織がついている安心感を抱きながら、
今、自分の出来ることをやろう」
って感じの運用をしてるわけ。
それで元気になれるなら、結果オーライなんですわ。


さて、現実を考えたときに、あてにならない大自然と、
もしかしたらあてになるかもしれない学会組織、
どっちを信じる?
って話になるわけよ。


もしかしたら頼れるかもしれないモノ、持っててもいいんじゃない?
二世三世なんて、せっかく頼れるモノがあるんだから、
わざわざ苦労してほっぽりだすこたぁないと思うよ。
誠実だろうと不誠実だろうと、自己満足でしかないし。


俺は、どうでもいいことには手を貸さないし、
積極的に活動はしないけど、
こんな俺だって学会員が困ってたら協力するよ。
題目送っちゃうよ。
いいじゃん、助け合い。


もちろん学会だって潰れるかもしれないけどさ。
潰れたらそのとき考えればいいじゃん。
箱が潰れたって、人は残るよ。
【2005/10/30 07:33 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
悩み発生装置
悩みがあるのはイヤだ。
でも悩みがないとつまらん。


俺は悩みがまったくないわけじゃないけど、
悩みに沈んでしまってるわけじゃない。
いつもほどよく悩んでるくらいなんだろうなぁ。
まったく悩みがなくなっちゃったら死んじゃうよ、俺。


「悩みがないのが悩みです」
ってが一番つらいんだぜきっと。
だとすると「悩み発生装置」みたいなのが、
やっぱあってもいいのかもしれない。
創価学会って、良い意味でも悪い意味でも、
悩み発生装置なんだよね。


「悩みがなくてつらい」というそこのあなた!
創価学会、オススメですよ。
たーくさん悩ませてくれまっせ(笑)。


俺、創価学会のことをコネコネ考えてて楽しいもの。
インターネットの学会系界隈にいる人って、
つまり、学会にまつわることを考えて楽しんでるんでしょ?


創価学会って、おもちゃですよ、おもちゃ。
なくなっちゃったらつまんなくなるよ?
【2005/10/30 07:26 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
美少女戦士セーラームーンR
ちょっと最近は、オタク属性を取り戻そうと思ってね。
昔観て、泣いた記憶のあるセーラームーンRの映画
TSUTAYAで借りてきた。


以前、人に薦められてられて観たわけだけれども、
何度観ても泣けるね。
いやぁ、久しぶりに泣いた。


「孤独」って本当は誰もが経験していること。
そしてそれを「甘え」に堕することなく、
どうやって克服するかが大切なんだ。
うさぎ以外のセーラー戦士4人の思い出のカットインは、
涙なしには観れないよ。
いいから観ろ。そして泣け。
しかし、もう12年も前の映画なんだね…。


観てgizmoさんと共感しよう(笑)。
俺は、フィオレとアンチがかぶるんだ。
【2005/10/29 22:06 】 | オススメの本とか | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
アンチさん、しあわせ?
俺がもし、いわゆるアンチだったら、
アンチの俺がいかに幸せで、
いかに生き生きと生きているかを、アピールするなぁ。


学会を退会したアンチが、ネット上で学会員をネチネチいじめる。
そして端で見ているアンチの取り巻きがヤンヤヤンヤと喝采する。


そんな姿を見て思うことは、
「学会を離れたらこんな風になってしまうんだなぁ」
ということだと思うがなぁ…。


立派な姿を見せてくれないと説得力ない。
悩んでいる学会員が、
「あらアンチの方が素敵な生き方なのかしら?」
「アンチの方が幸せになれるのかしら?」
そう思わせてくれれば、まだしも。


僕なんかは、男子部活動家の余裕無い姿をみて、
「ああこんなもんか」と思ったクチだからかもしれないけれど、
今のアンチは「ああこんなもんか」でおしまいだと思うYO!
【2005/10/29 09:45 】 | 未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | page top↑
関係の呼び名
関係のカタチというものは無数にあって、
どれひとつとして同じものはない。
きっとその呼び名は便宜的なものだと思う。
家族、恋人、友達、呼び名はなんだっていいんだ。


さらに言えば、アンチ、シンパ、も呼び名はなんだっていい。
インターネットという言葉の世界に縛られた
カテゴライズ厨の言葉にふりまわされる必要なんてないんだよ。


ここに僕と君がいる、それだけなんじゃないかな。
【2005/10/29 09:27 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
ウエンディの贈り物
押し入れの奥から引っ張り出してきて、
花井愛子『ウエンディの贈り物』を読みました。


はじめて読んだのは高校生の時でした。
当時少女小説が好きでしてねぇ。
夢の世界というか、乙女チックというか、
そういうのに触れて「ええもんじゃのぉ」と、
悦に浸る変態男子高校生だったわけです。


講談社X文庫の小説は、たいてい、
恋に焦がれる女の子が主人公で、
あこがれの男の子が出てきて、
ハッピーエンドっていうお約束なのですが、
この『ウエンディの贈り物』は、珍しく男の子が主人公。


アクセサリーがわりに女の子とつきあっているような、
モテモテの大学生で金持ちのボンボンの主人公ユキヒコが、
自立したオトナの女性、真澄さんと出会い、
そして突然の別れを経験し、自分がいかに子供であったか、
相手と真剣に向き合っていなかったかを強く自覚し、
成長するってなお話なんですがね。
(こう書くとつまんなそー(笑))


少女小説という枠があるから、
物語がちょっと駆け足だし、
読点だらけなんだけれども(苦笑)、
ええ話なんですわ。


こういうのは、ダイジェストで引用したほうが、
雰囲気をわかってもらえたりするんだよな。
まあいいや、長くても…たとえば、真澄とユキヒコが言い争う場面。
以下引用。


「真澄が、言うほど。殊勝なオンナばかりじゃ、ないぜ。いや、むしろ、相手の都合、まったくムシの、身勝手人間のほうが、大多数なんじゃないか?」
「ユキヒコの出会った女性たちが、事実、そうだったとしたら。なおさら、責任は、ユキヒコって男のコに、あると思う」
 真澄は、ビシッと、言ってのけた。
「ボクに!? 責任!? なぜ」
 さすがに、ボクは、頭に血が、昇った。
「ボクの、なにが!? どうして、いけないんだよっ」
「自己主張、しなかったんじゃないの?」
「自己主張って!?」
「好きなコトは、好き。嫌いなコトは、嫌い。はっきり、口にして来た? 態度に出して来た? お互いに、理解し合うために、エネルギーを使って来た?」
「それは……」
「いいじゃないか、別に! とか、言う気でしょ。違う!?」
「………」
 図星、だった。
「いくじなし、なのよ。カラダで、ぶつかるのが、怖かったり、めんどくさかったり。だから、頭の中だけで、ちょっと考えて。ううん、考えるヒトは、まだ、マシかもしんない。考えもせず、ただ、逃げるんだわ。ひきょう者よね」
「ひきょう!?」
「違う!? 女のコと、いちどでも本気で、真剣に、つきあってみたこと、あるの!? 傷つけ合いに近いケンカ、したこと、あるの!?」
「そんなの……、ないけど。オンナなんかと、マジで話すなんて、時間と労力のムダ……」
「やってみたことも、ないくせに、どうして断言できるのよ」



以上引用終わり。
ってなカンジ(笑)。
ちなみに、読み返してみて、俺も今、
真澄さんみたいなこと言ってるなぁ、と思うわけです。
また、俺の心の中の真澄さんに叱られてるなぁ、とも。


gizmoさんに興味のある人は、
古本屋で探して、読んでみてください。
ブックオフで100円くらいで売ってます。
いや、ホントええですよ。
ウエンディの意味、わかる。


知ってる人いるかなぁ?
いねぇだろうなぁ…。
【2005/10/28 09:00 】 | オススメの本とか | コメント(8) | トラックバック(0) | page top↑
行動を決める要素
ものごとにはいろんな要素があるんだけれども、
自分の知覚できた要素だけを組み合わせて判断し、
自分の行動を決めているものなんだよなぁ、人って。


またそのプロセスも複雑過ぎて、他人には計り知れない。
要素が一つあるかないかで、行動が180度変わるときもある。
他人に明かすことが出来ない要素があるかもしれない。


結局は一人で考え一人で決めるしかないんだよなぁ。
自分と同じ要素を、他人が完全に把握し、共有することは不可能だ。
人は一つ一つの行動を選んで生きているけれども、
選んだ理由を他人に説明なんて出来ないように思う。


「1973年のピンボール」で、鼠が大学を辞めた理由を聞かれて
「中庭の芝生の刈り方が気に入らなかったんだ」と答えたように。
意外とこれが本当に最大の理由かもしれない。


なぜそんな行動をしたかということは、本人にしかわからない。
もしかしたら本人にもわからないかもしれないけれど、
少なくとも他人がわかることではないと思う。


でもこれを前提にして、
他人をわかろうとしたり、思いやったりすることが、
生きてて面白いことの一つなんじゃないかな、
なんて思ったりもするけれど。
【2005/10/28 08:41 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
インターネットに仏はいるか?
「インターネット仏」という仏があるのなら、
インターネット信仰という形態も考えられなくもない。
インターネットに縁している僕らは、インターネット信者なわけで。


インターネットの住民が、諸天善神だったりするならば、
インターネットという海というか空というか自然というか、
そういうものがあってだね。
まあ、つまりそれは、御本尊と矛盾しないというかなんというか。
【2005/10/28 08:29 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
心地よい期待
「自分は期待されている」
そういう風に心地よく思えると、
頑張ることが出来る気がする。
過剰な期待ではなく、全く期待されないのではなく、
心地よい、ほどよい期待。
「がんばれ!」って言葉自体が、悪いわけじゃない。
そのひとことが僕にパワーを沸き立たせるときもある。


「よっしゃやってやるぜ」
「もっと君を楽しませてやるぜ」
そんな風に思って、生を楽しめる僕は幸せだ。


ピエロって悪いたとえに使われるけれど、
かならずしもそうではなく、
きっと君の笑顔を僕はみたいだけなんだ。


せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になろう
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
きっと誰もが 同じ河のほとりを歩いている
(『道化師のソネット』 さだまさし)



君も僕も、いつもいつまでも笑っていられたら、いいね。
【2005/10/27 08:58 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(1) | page top↑
おとうさんとおかあさん
いや、つまりだな。
おとうさん役とおかあさん役がいるとその組織は健全なのだろうな。
おかあさん役しかいないと甘ったれた子供が育つだろうし、
おとうさん役しかいないと萎縮した子供が育つのかもしれない。

アンチ界隈っておかあさん役ばっかだよな。
だから、甘ったれたヤツばっかになっちゃうんだ。


…と、昔書いたメモを発掘して、ここに書いてみる。
タイムスタンプは8月18日。
結局俺は、おとうさん役になりたかったのかもね。
当たり前のようにウケが悪くて、どんどん人が離れていったけど(笑)。
【2005/10/26 19:19 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
やっぱ自分だと思うのよ
世の中つらいことばっかとか、生きにくい社会だとか
日本の政治が悪いとか、創価学会が悪いとか、
なんでそんなに、自分じゃないところに原因を求めるんだろう。


ブチブチ言ったって、
自分をとりまく世界が変わるわけではないと思うんだ。
この世間で、生き生きと楽しく幸せに生きている人がたくさんいる以上、
「やろうと思えば出来る」っちゅーことだと思うんだよ、俺は。
俺はやっぱり、この今の日本がそんなに悪いとは思わないよ。


「それは強者の意見だ」って言われたり、
「弱者の気持ちがわかっていない」って一蹴されるけれど、
幸せになるには自分が変わるのが一番だと思うし、
たぶん、唯一の方法だと思うなぁ。


ブチブチ言う人は、
きっと世界が変わってもブチブチ言うんだろうなと思う。
自分の理想とする世界が実現したとしたら、
その人はどうするんだろう?
仮に実現したとしても、きっとその人は幸せではない気がする。
今度は言い訳が出来なくなって、逆にもっとシンドクなるかもね。


僕が信じ、肯定していて、ゆずれないのは、
「人は誰もがもっともっと幸せになりたいと思っている」
ということだし、それを捨てろというのなら、
仏教だろうとなんだろうと、邪宗だと思う。


小欲知足もわからんではないけれど、
「これでよし」って満足しちゃったら、
ゲームオーバーでしょう。
さらなる高みへ登ろうとするからこそ、
生きることがおもしろいんだ。


学者や研究者は、飽くなき研究を続ける。
芸人は、自分の芸を磨き続ける。
商売人は、さらにお金を儲けようとする。


そういえば、
なんだか商売人は目の敵にされるよなぁ。
さらにお金を儲けようと工夫して、
効率的なお金儲けをする者を、
なぜそんなに悪く言うんだろう。


「そんなにお金が欲しければ、自分がやればよかったのに」
って俺が言うと「強者云々、弱者云々」て言われるんだよな。
もしお金が欲しくないのなら、悪く言う必要ないじゃない?


まあ、それはいいや。
自分のやりたいことを、やりたいようにやるのが、
一番幸せだと思うわけ。
やりたいことを追求する者をやっかんだり、
世界を恨んだりする人を、かわいそうだなと思う。


世界を無理になんとかしようとするよりも、
自分をなんとかする方が先だよなぁ、きっと。
【2005/10/26 15:48 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(1) | page top↑
おじいちゃん
朝、勤行をしていて、ふと思い出した。


僕が小さいころ、
まだイナカにおじいちゃんが住んでいて、
長い休みに家族で遊びにいったときのこと。
朝、起きると、おじいちゃんやおかあさんが、
仏間で勤行している声が聞こえてきたものだ。
イナカの朝の冷たい空気の中で、
僕は御本尊に向かって座るわけではなく、
こたつに入ったりしながら、
5座分の長い勤行を聴いていた。
僕は小さかったから、ふつうに
「勤行が終わるまで相手してもらえないな。早くおわらないかなぁ」
って思ってたと思う。


勤行が終わってやっと、
おじいちゃんがかまってくれて、
うれしかったりしたんだよな。


いや、なにか言いたいことがあるわけじゃないんだ。
幼い頃から題目が身に染みているというのは、こういうことでさ。
ふとした瞬間に、家族がしていたことを思い出すわけだよ。
それを否定するのか、しないのか。
それは本人の自由だけれども、
なにもムキになって否定することもないんじゃないかな、
って僕は思っちゃったんだ。


思い出は思い出として、自分の家の信仰として、
大切にしたっていいんじゃないかなぁ。


俺がたとえば創価学会の矛盾をみつけて、
鬼の首を取ったようにそれを攻撃したって、
死んだおじいちゃんは、きっと喜ばないよな。


俺がおだやかに、人にやさしく、生きていられたら、
そして、自分の道をしっかり歩いていれば、
それでおじいちゃんはほめてくれるんだろうなぁ、なんて思う。
それでいいんじゃないかなぁ。
【2005/10/26 08:37 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
心を一つにして歌うこと
昔書いた「中学生の合唱コンクールをみた」というこの記事に
「へぇコメント」があった。
とても嬉しくてさ。


本当に偶然なんだけど、おととい、
僕もこの歌を口ずさんでいたんだ。
ホント、不思議。


最後の合唱祭で『信じる』を歌うことになった君。見てる~?
見てるか見てないかわからないけれど、コメントありがとう。
中学生の君が「みんなを信じて、心を一つにして頑張りたい」
そんな風に思った君の心が僕にも伝わって、
僕もまた「人を信じよう」という気持ちになったよ。
相手がどう思っていようと、まずは自分が、相手も自分も信じたい。


「心を一つにすること」が否定されがちな社会だけれど、
これって生きることに必要で、とても大切なことなんじゃないかな。
そんな風に、僕は思うよ。
【2005/10/25 12:24 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
出来ないものは出来ない
まずは、棚上げしてみよう。
大丈夫、命まで取られるわけじゃないから。
やりたいことのうちで、
それが出来ないのは、今出来ないだけ。
あとまわしでもいいじゃない?


今出来ることは今やろう。
今出来ないことは今やめておこう。


他人がなんと言ったって、出来ないものは出来ないの。
でも、自分がやりたいって思い続けている以上、
いつか出来るときが来るさ。
【2005/10/25 08:41 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
カリカリすんのやめよーぜ
たいていカリカリしちゃうと状況は悪くなるんだよなぁ。
でも、なんでカリカリしちゃうんだろう。


カリカリして物事が好転するならば、
カリカリするのもいいでしょう。
自分をコントロールし、周囲に与える影響も予想した上で、
敢えてカリカリする行動を取るならアリだろうな。
それで周囲に緊張感を与え、よくなる場合もある。
でもこれは「カリカリ」とは言わないか。
「ピリピリ」かな…いや、かわんねーな(笑)


一番良くないのは、自分を見失ってカリカリしちゃう場合だろう。
そうすると、周囲の仲間は引く。
俺を怖がって萎縮する。
そして自分ばかりか、仲間もミスしはじめる。
それがさらに自分と仲間をカリカリさせちゃうことになる。


そして、面白くなくなる。
面白くなくなっちまったら、
なんのためにやってんのかわかんなくなっちゃう。
それをやりたいからやってるはずなのに、
やらされてるような気になっちゃう。
うん、たいていのカリカリは、たぶんダメだな。
(・A・)イクナイ!


でも、なんでカリカリしちゃうんだろうなぁ。
わかんねーけど、そういうときは題目でも唱えるしかねーか(笑)。
【2005/10/24 19:25 】 | 未分類 | コメント(8) | トラックバック(0) | page top↑
人には限られたリソースがある
人には限られたリソースがあってね。
誰かに同苦するにも、救ってあげるにも、
限界があるわけです。


自分がなんとかなってない場合は、
自分のリソースを自分をなんとかする方に、
振り分けなきゃならん。
そうしないと、動きが不安定になり、
果てにはフリーズする。


自分が不安定であるということは、
その処理をするためのCPUパワーが足りなかったり、
メモリが足りなかったりするわけだ。


メモリが足りなかったらどうするか。
まず、余計なアプリを閉じて、タスクを減らすこと。
メモリを増設するのもありだけど、
まあ今すぐ増設は難しいよ。


人のメモリを借りて処理するのも、
ありって言えばありだけど、
今度は人のリソースに負荷をかけちゃうわけで、
いつも借りてばっかだと迷惑だわな。


しかもそのリソースが、
自分ではない誰かに使われるとしたら、
貸してる方としては、なんなの!って思うよな。
友達から金を借りて、誰かに貸すようなもんだ。
そういうのやめようよ、って思うわけ。


自分のリソースを消費して、
自分が楽しんでる分にはいいけど、
いつのまにか罠にはまるときもある。


楽しんでる姿を見せることが、
人のリソースに寄与することもあり、
それが返って自分のリソースに寄与することもある。
だから、難しいんだよな。


でも、どっちにしても、
自分でリソースの管理しないと、
やっぱ、うまく生きていけないよなぁ。
【2005/10/23 10:14 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
だけじゃダメだ
強さだけじゃダメだ。
厳しさだけじゃダメだ。
やさしさだけじゃダメだ。
ずるくないだけじゃダメだ。
執着を捨てるだけじゃダメだ。


人はいつも、どちらかに振れている。
ある方向に振れているときをみて、
その人を固定的に評価することは出来ない。


「あの人は強い」
「あの人は厳しい」
「あの人はやさしい」
「あの人はずるくない」
「あの人は囚われていない」


そのような人格の評価は、全部間違いだと思っていい。
人間に対して、そんな一つのレッテルが貼れるわけない。
その状態のときもあるし、まったく逆のときもある。


どちらかに振れれば、必ず逆に同じ分だけ振れ返す。
必ずバランスをとることになる。
これを仏の法と言うのだ。


仏法を信じるということは、
この法則を信じることで、
「思いっきり生きていいんだ」
と確信することだと思う。
【2005/10/23 05:29 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
ぐるっとまわってアンチこそカルト
俺は「宗教なんて道具だ」と思うわけ。
それはアンチな人もそうだと思ってるんでしょうよ。
「仏法よりも、人生の方が上である」
というのはそういうことでしょ?


創価学会は宗教を道具として使ってます。
道具を道具として使う。
本来の使い方をして何が悪いんだろう?


仏教を道具として使わずに、
仏教に囚われて不自由になってるんだったら、
仏教なんて捨てちまえって思う。
「仏教よりも、人間の方が上である」
俺はそう思うよ。


だから、俺と仲良くしたいという意志を持っている人なら、
どんな人とでもつきあいたいと思う。
いわゆるアンチだろうとシンパだろうと、
同じ時代に生きてるんだったら、接触しないと損じゃんか。
(コメントよろしく~(笑))


「学会員と仲良くするなんて片腹痛い」
「学会員というだけで組織を支えているから、学会から引きはがせ」
いわゆるアンチはこういう囚われを持っている。
そしてそれを仏教というオブラートで包んで、
ネットに迷い込んできた学会員を騙すわけだ。
結局、創価学会の弱体化を狙ってるだけ。


偽物ではない本当の仏教?
ウソつけ、学会憎しで足を引っ張るために、
仏教の権威を利用してるだけだよ。
あ、そっか、アンチも仏教を道具として使ってんだよな。


「内部でないと真の友情は結べない」
「法華講員というだけで日顕宗を支えているから、法華講から引きはがせ」
こんな風に思っている学会員を攻撃するくせに。


結局、所属が変わっただけで、やってること言ってることは同じ。
バリバリのシンパから、バリバリのアンチになった人は、
ぐるっとまわって同じところにいきついた。
余計な知識がまとわりついただけで、
性根はなんにも変わっちゃいない。


卑屈な性根が変わることなく、
成長出来ないのならば、
なんのための仏教なんだろう。
今や、バリバリのアンチのほうこそカルトだよ。
【2005/10/23 05:24 】 | 未分類 | コメント(8) | トラックバック(0) | page top↑
食べなきゃ腐っちゃう
理屈ばっか言ってても、「絵に描いた餅」であります。
つまり理屈を言ってる限り、うまい餅は食えないわけで。
「この餅はどこどこ産のなんとかっちゅう米を使ってだね」
なーんてうんちくをたれててても、食わなきゃおいしさはわからんわけよ。
まず手を伸ばして、食ってみるのが一番。
実際に餅があっても食べられないなら、
そりゃ「絵に描いた餅」となにも違わないからなぁ。


そう、俺は「美味しんぼ」的なグルメってあんまり好きじゃなくってさ。
「どんな食べ物も、みんなで食べればおいしい」とか、
「空腹は最大の調味料」とか、そういう価値観の方が好きだな。
というか、そうなりたいって思う。


人間関係っつーのは、理屈じゃなくてさ。
実際に触れあってこそ、うれしいわけじゃないですか。
「そこに人間がいるから」ってのは、
やっぱ悪いことじゃないと思うぜよ。


教義ってのは、道具じゃないですか。
インターネットってのも、道具じゃないですか。
道具が変わったところで、人間はそんなに変わりゃしませんよ。
「宗教のために人間があるのではなく、人間のために宗教がある」んでしょ。
「インターネットのために人間があるのではなく、人間のためにインターネットがある」んです。


せっかく生を受けたなら、同じ時代を生きる同士、
楽しくやってったほうがいいよね。


たとえば、がんばって創価学会を潰したところで、
第二第三の創価学会が出来るんだからさ。
創価学会が、人と人とがつきあうきっかけになって、
触れあうことが出来たことを評価したほうが建設的だよな。
もちろん、反創価学会がつきあうきっかけとなったってのもあるんだろうけど。
どっちにしたって、ああいう団体、あってもいいんじゃない?


創価学会があってもなくても、
あいかわらず人間は生きていくんだ。
人間同士が触れあっていくんだ。
所属によって、人間づきあいを否定するなら、
それこそ悪しき考え方なんじゃないかなぁ。


創価学会を支えてたっていいんじゃない?
仏教家は、なにを仏教だって言われたって、
「そうかもしれないね」と言って、
ニコニコしてるんじゃないかなぁ。


今、人と触れあっていられることに感謝ですよ。
人と触れあっておもしろいのが、食っておいしい「餅」です。
あーだこーだぶつぶつ言って、食わないままなら、
そりゃ「餅」としての意味ないっすよ。
【2005/10/21 14:19 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
俺の学会活動
「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」ですから
俺にとっての学会活動は、つまりは仕事なんだが
(念のため言っておくが、俺は学会職員じゃないぞ(笑))、
やっぱ真剣にやると悩みは多くなるわけです。


出来なくてくやしかったり、
成長する痛みを感じたり、
泣きながら仕事してます(笑)。


まあ、仕事をしたい人は仕事をすればいいし、
学会活動をしたい人は学会活動をすればいいんです。
俺は今、仕事をしたいから仕事をしています。


学会活動っつーのが、なんで現実に対しての訓練になるのか
っていうと、擬似的であれ学会組織が、
会社のようになっているからだと思う。
それを否定するか肯定するかは意見の分かれるところだが。


活動をいくらやっても、
いわゆる宗教的な功徳っつーのはないと、俺は思ってる。
組織っていうのは単に、
現実的な人間関係を学べる場所なんじゃないかな、と。
活動を通して人間関係を学ぶことで、
社会に出てもへこたれない人になり、幸せになれるのなら、
それは創価学会の組織の功徳とは言えまいか。
【2005/10/20 21:36 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
信じられるもの
何が本当で、何がウソかは、わからない。
ただ、その奥底にある愛だけは、信じることが出来るはずだ。
それを信じることが出来たとき、
本当かウソかなんてどうだってよくなる。
【2005/10/20 06:04 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(1) | page top↑
わかったぞ!
(注:19日16時にこの文章かいたの(笑))
わかったぞ!
へこんでいるのは、実は仕事に不安があるからだ。
そして、自分を責めているのだ。
自分を責めて自信を失い、
「俺のなにもかもがダメなんじゃないか」
「本当はみんなも俺のことをダメだと蔑んでいるんじゃないか」
なんて思いこんでしまう罠にはまりかけてるだけだ。


自分を責めてもなにも変わらないから、
負けないぞと歯を食いしばって、
前向きに努力するっきゃない。


そういうときこそ、心に棚を作れ、俺よ。


大丈夫。
おまえは今まで失敗も多かったけど、
自分の力で立ち上がってきたじゃないか。
戦ってやろうという意志だけは持ち続けていたじゃないか。
立て! 立て! 立つんだg!
【2005/10/20 00:57 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
へこんでいるときは
(注:19日14時にこの文章書いたの)
へこんでいるときは些細なことが気になって、
落ち込まなくていいのに落ち込むもんだ。
正直に言うと、今の俺がそう。


ちょっとしたことが出来ないとき、いつもなら、
「そんなの出来なくてもいいの」
って開き直れるし、それが正解なんだけど。
へこんでいるときは、
「なんでこんなことも出来ないのだろう」
「俺って、今までなにやってきたんだろう」
なんて思っちゃう。


こうやって分析的にみることが出来るだけ、
きっと俺の心は正常だという自信があるし、
またいつもの自分に戻ることが出来ることを確信している。


もっと言えば、もうひとりの冷静な自分は、
このワタワタしている自分を楽しんでいるのも意識できる。
自分をおもちゃにするっていうと、言葉の響きが悪いけれど、
このドキドキ、ワタワタを楽しめる自分が、とっても好きです。


余裕がないことを演じている意識があるかぎり、
余裕があるんです、きっと。
【2005/10/20 00:54 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
色心不二
心がなんとなく落ち込んでいる場合、
お気に入りの服を着てみるってのもいい。
お気に入りの自分になれるかもしれないよ。


普段着を着れば気を抜いた心になるし、
ジャージを着れば運動しようという心になる。
スーツを着ればスーツを着たなりの、
やっぱり戦闘モードになるのだ。
【2005/10/20 00:49 】 | 未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | page top↑
ふと思った
人は自信をゲットするために、生きているのかもしれないなぁ。
【2005/10/20 00:38 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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