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新聞の切り抜きです
犬のメメさんのブログでオススメした
11月16日の聖教新聞の切り抜きです。
もう捨てちゃってるとのことなので、
切り抜いてアップしておきます。


切り抜きが大きすぎるから、
photoshopを使って一枚のjpgにしたんだけど、
久しぶりだったから全然、機能を忘れていた。
一所懸命思い出して、レイヤーを駆使して、
苦労して貼り合わせたんですよ
(三九郎さん、ほめてほめて~(笑))。


だから、読んでみてね、犬のメメさん(はぁと)。


20061128161647.jpg
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【2006/11/28 16:29 】 | 未分類 | コメント(8) | トラックバック(0) | page top↑
ノスタルジーだけど
http://www.youtube.com/watch?v=vAo0zZOFEZw


やっぱさあ。
「あばれはっちゃく」の時代の方が健全だったよな、大人も子供も。
どうすれば、あんな時代にすることが出来るんだろう。
大人も子供も、傷つくことに神経質すぎるんだよ。
たまたま起きた事故にも神経質すぎる。


そんなんだから、イジメが陰湿になるんだ。
かつては「子供の社会」があったんだ。
それに細かく親が介入することで、
おかしくなってしまったように思う。
過保護ってやつだ。


だいたい、子供は外で遊ぶのが当たり前だった。
俺なんかも、天気が晴れてる日に家で遊んでたら
怒られたもんだけどな。
今は時代が変わって変質者が多いから、
外で遊ばせられないとか言われるみたい。
変質者は昔から居たと思うんだけど、
そんなに数が多くなったのかなあ、疑問だよ。


当時だって
「知らない人についていってはいけません」
くらいのことは言われてたしな。
「暗くなるまでには帰ってくること」
とか、そういう約束もあった。
そして約束を破れば、
親父に平手でひっぱたかれたもんだ。
こういうのも「虐待」とか言われるんだろうな。
また、そう言われるのが恐くて、
子供に手を上げなかったりするんだろうな。


率先してなにかアクションを起こしたいって思うけれど、
自分に出来ることは、俺は将来頑固親父になる、
という決意くらいしかないかね。
【2006/11/18 13:48 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
サヨクがここまで蝕んできてるんだよなあ
いまどきのアンチを見るにつけ、
創価学会問題が云々というよりも、
いわゆるサヨク的なものが、
バックグラウンドにあるような気がするんだ。
公明党が与党になってから、
反戦を強調しなくなったから理由で、
公明党はおかしくなったと主張するアンチの人とか。


内外問わず、アンチの一人ひとりのメンタリティが、
いわゆるサヨク思想に支配されてるような気がする。
やつらは非武装中立が正しいとか言いかねないよ。
「それなんて朝日?」って言いたくなる。
鎌倉時代の元寇が嵐で退散したように、
南無妙法蓮華経で神風が吹くとでも思ってるかのようだ。


都合の良いマジカルな功徳は期待しないのが、
現在の学会の信仰の本流だと思うんだよ。
高等宗教として、迷信の類は廃し、
出来る限り科学的たれという姿勢だろう。


いってみれば、創価学会にとっての祈りは、主に
自らの努力を沸き立たせる道具として存在するのだと思う。
だって、永遠の指導者である池田大作は、
いつだっておすがり信仰はしてないでしょ?
彼は七夕の短冊に書くような、
「○○になりますように」
なんて祈り方はしてませんよ。


御本尊の前に座るときも、そこは
常に自分との対話の場所であり、
自分が次になにをするべきか、
なにが出来るのかを確認する場所でしょう。


サヨクな人というのは、おとぎ話を信じる。
自分が武器を捨てれば、相手も武器を捨てると、
単純に信じているような人たちだと思う。
中道の精神というのはそういうものではないだろう。
とくに政治であるなら、そこには駆け引きが当然存在する。
それを無視して理想だけを語り、現実を冷静に分析できないのは、
それこそカルトと言ってよいのではないか、と僕は思うよ。
【2006/11/17 23:06 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
きれいごとの欺瞞
「嫌な気持ちになる正しいありかた」
というのがあるような気がする。


嫌なニュースを見て、嫌な気持ちになる場合、
「世の中にこんなに汚い人が存在するなんて…」
と嫌な気持ちになる。
でもこの段階では、まだ他人事なんだよな。
自分の内面に問うてない。


「汚い人が存在する」というのは、
自分の外の問題として捉えているんだ。
対岸の火事としてみているから、
当事者を置いてけぼりにする。
こんな人が、その事件が起きた原因を、
人間にではなくてシステムに求めてしまうんだ。
自分を含めた人間一人ひとりの中に、
その原因があるということから
目を背けようとしているのだと思う。


多くの日本のマスコミは、これを煽る。
この界隈のアンチの大好きな言葉を使えば、
マスコミこそ、日本人をマインドコントロールするカルトだよ。
書き方見せ方で、印象操作は自由自在だもの。


マスコミの信者の間では、マスコミの意見を暗記して、
そのまま言えばそれだけで「いい人」になれる。
「よく勉強している人」にもなれる。
それで「いいこと」をしている気になってるからたちが悪い。
自分の頭で考えている気になっているからたちが悪い。
そんな「いい人」は、事件にコメントをする際、
自分こそ加害者であるかもしれないなんて、
思いもよらないのだろう。


「いい人」が、ある問題を眺めて結論を下すとき、
それはすべて制度の問題となり、
社会という得体の知れないものの問題となる。
決して、自分の問題としては考えない。
社会問題に分類することで自分の外に追いやり、
自分の心理的整合性を図っている。
つまり「自分は関係ない」という結論と同義だ。
評論して安心するが、自分では引き受けない。


嫌なニュースを見て、
嫌な気持ちになる気があるなら、覚悟があるなら、
徹底的に嫌な気持ちになった方がいいんじゃないか。
「自分の中にもこんなに汚い人格が存在する」
という風に、自分のこととして。
被害者のことだけ想像するのは方手落ちだろう。
加害者のことを想像すると、自分だって一つ間違えば、
簡単に加害者になりうるということがわかる。
そこから目をそらしちゃいけないんじゃないか。


聖教新聞的にいうならば、自分自身はいつだって、
日顕にも山崎にも竹入にもなりえてしまう。
餓鬼にでも畜生にでも、一瞬で転落する。
いや、僕の心が内包している。


いつだって加害者に転落する危険があるということ、
決して美しくなんてない、ドロドロしたものを抱えていること。
それから目を背けようとする人が多い。
「汚い言葉はいけません。きれいな言葉を使いましょう」
とか言うのも、人間の汚いことから目を背けようとする表れじゃないか。
それは、自分の汚い心にベールをかけて、
意識的に見ないようにする欺瞞にしか、僕は思えない。


もっといえば、日本人一人ひとりが汚い言葉を使わなくなってから、
世の中が窮屈になり、精神を病む人が増えたのではないかとすら思う。
ホンネで汚い言葉を吐き合っているくらいのほうが、
精神衛生にもいいんじゃないか。
たいていの毒舌家は生き生きとしている。


だから、僕は率先して、屑には屑と言うし、
畜生には畜生と言える自分でいたいと思うよ。
汚い言葉を吐くことが、結局は、自分は汚いことをするまいという
誓いになっているメカニズムがわかる人は、少ないのかもしれない。


汚い言葉を吐くから汚い人間なのではない。
汚い言葉を吐かずに、汚いものを溜め込むから、
汚い人間になってしまうのだろうと、僕は思う。
【2006/11/17 10:47 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
本幹行ってきましたよ
昨日、本幹見てきたんだけどさ。
今回の池田名誉会長のスピーチは良かったよ。
まあいろいろ言われるけれども、素直に聞けば、
彼が一番大切に思っているのは学会員のことなんだよな。
幹部のことではなく学会員のこと。


上に行けばいくほど厳しいのは、学会では当たり前。
上に居る者ほど、下の者が挫いてやらなきゃなんない。
たとえば、池田名誉会長があの場所で、
会長や理事長を叱咤しないでいたほうが、
その品性は保たれ、批判されることもないだろうな。
品性を落とすと思われてもなお、
会員一人ひとりに伝えたいことはなにか。


彼は民衆の一人として、会員の一人として、
最高幹部に対する姿勢をデモンストレーションをしている。
役職や年齢が下だからといって上に対して卑屈になることはない。
出来ることは堂々と出来ると言い、
やったことは堂々とやったと言えばいい。


池田大作をどうでもいいと思っている外部ならいざしらず、
師匠として仰いでいる学会員ならば、
その振る舞いのメッセージをつかみとらなきゃならんのじゃないか?
彼が激しく叱咤するのはたいてい上の者だ。
そして一人厳しき寒風に立つ下の者を賞賛し激励する。
その姿勢を貫き通していると感じられないの人は、
無理矢理うがった見方をしているからだろう。
「問題意識を持っている人」だと、
ちやほやされたいだけじゃないのかな。


(最高幹部に対しての、名字呼び捨て、命令形での厳しい一言には、
重みがあったし愛があったと、俺は感じるけどな。
あの態度を「傲慢」と感じるのは、ちょっと見方がおかしい気がする。)


「こんな創価学会をつくったけど、どう?」
無邪気にそう語る名誉会長の姿から感じられるのは、
戸田城聖への、また僕ら一般会員への、報告なんだよね。
僕は彼のこんな姿勢に「謙虚」を感じるけどな。


創価学会という組織自体が、池田名誉会長の作品なんだろう。
池田大作という人間が一生をかけてつくった
創価学会というリアルなドラマであり、
彼自身が苦労して真剣に生み出したものなのだろう。
それを「こんなもんだけど、どう?」って言っちゃえるところが、
人間としてのかわいらしさなんだと思う。
僕は、うやうやしく作品を説明する芸術家って嫌いでさ。
「別にすごくもなんともないんだけどね」ってな姿勢で、
すごい作品をさらっと出すような芸術家が好きなんだな。


池田大作という人は、自分の好きな学会を、
苦しんで作ったけれども、きっと楽しんでたんだろうな。
もし、もう一度生まれてきて、もう一回やれって言われたら、
嬉々としてもう一回やるんだろう。
つまり、悔いはないんだと思う。


僕ら一人ひとりも、今使える自分自身の、
一つの人生を使ってなにが出来るか、
それを意識しながら生きていきたいよな。
「あー面白かった」
って思って死にたいと思う。


池田大作という人は、そう思って死んでいくんだろうなって思ったよ。
自分に与えられた一身を燃やし尽くして、目一杯楽しんで死んでいく。
実は、日蓮にも共通してることだし、
僕らにだって出来ることなんだよな。


自分の居る場所で、自分の生を使って、
自分の作りたいオリジナルの作品をつくること。
それが、よりよく生きるってことなんじゃないかな、なんて思うよ。
【2006/11/14 04:16 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
現場でしか解決できない
自殺するしないも、自己責任なのかもしれないけどさ。
自殺が増えてるのは、マスコミのせいかもしれないよ。


マスコミが自殺の報道をすればするほど自殺が増える。
自殺すればマスコミが取り上げるという効果を、
自殺志願者が知ってしまったんだよなあ。
結果的に自殺を煽ってるのは、今やマスコミだよな。
もうマスコミは自殺の報道は、やめちゃったほうがいいと思うよ。
どんないじめでも公に晒して、糾弾しようとする姿勢って、
必ずしも正義じゃない気がする。


やっぱこの手のことって、
その現場現場で解決するべき問題であって、
社会問題として扱い、法規制とかしても、
根本的解決にならないだろうな。
その現場での人間関係に問題があり、
そこを改善しなきゃならないんだよ。
安易に制度をいじっても、いじめはなくならない。
ケースは人間の数だけあるんだから。


創価学会に絡む問題も同じでさ。
現場の問題を、ネットという公に晒して、
組織としての規制を求めていくことって、
なんだか筋違いというか、
手抜きのような感じがするんだよね、僕は。


根底に流れるものは
「おかみがなんとかしてくれるだろう」
というメンタリティな気がする。さらに進めると、
「おかみがなんとかしてくれないと解決出来ない」
になっていくような気がする。


自分が変われば世界は変わるんだけどな。
特に学会員なら、そう思ってなきゃおかしいと思うんだけどな。
【2006/11/12 21:03 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
なんかトップ人事があったみたいね
まあ創価学会みたいな大きな組織のトップには、トップの思惑があろう。


奇麗事を並べた机上の空論とゴシップが好きな大衆とも見紛うような、
知っている情報も少なく(フェイクをつかまされてるかもね)、
組織の方向性も大目的もわからない、
サヨク的なジャーナリスト気取りの一部の学会員が、
純粋な信仰をしている一人ひとりの学会員さんにとっても、
組織の舵取りをしている最高クラス幹部にとっても、
一番やっかいだし、迷惑だし、見苦しいよなあ。


そんな人のことも気遣って方針決定をしなきゃなんないんだから、
最高幹部の気苦労に同情してしまうよ。
俺だったら絶対引き受けたくない。


人事をどうこうを考えるのは、実際にその立場に居ないとわからないよ。
「問題意識を持っている」という勘違いをして、
知りもしないことを憶測で得意げに語る学会員って、
わかったような顔をした平社員が、
取締役人事を評論家気取りで語っているような
愚かしさと見苦しさを、僕は感じてしまうんだよな。


そんなことを言いたいのなら、いっそのこと
会社を辞めて投資家にでもなればいいのに、って思うよ。


本当に会社を内部から変えたいと思うなら、
努力して影響力のある立場にのし上がるべきだし
(たとえば学会の最高幹部を引き受ける覚悟はあるかい?)、
会社を見捨てたなら転職すればいいんだよ。


会社の一人の構成員として会社の恩恵を受けていながら、、
自社のことをボロクソに言うのって、やっぱどうかと思うわけだよ。
しかもトップの迷惑を承知で、いやそれが目的でやってるんだからなあ。


少なくとも俺は学会員だし、学会の恩恵を受けているからねえ。
意図的に足並みを乱すなら、
辞めた方が自他ともに幸せなんじゃないの?
なーんて思っちゃうんだけどなー。


僕は自分のいる場所で自分の出来ることをやるから、
トップのことなんてどうだっていいんだけど。
【2006/11/10 23:33 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
イカレタ婦人部とバカアンチ


イカレタ婦人部




バカアンチ


押し付けってこういうことだし、放棄ってこういうことだよねw
こんなことやりあってるから対話が成り立たないんだよな。
【2006/11/08 10:01 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
ホントに「批判など全く恐れるな」だよなあ
今までの自分を振り返り、
見つめなおしている学会員が、
この界隈のあちこちのブログとかを見てるとさ、
「学会の組織に頼るのは悪いこと」
「学会の仲間に頼るのは悪いこと」
そんな気持ちにさせられるんだろうな、なんて思う。


これは単に、学会員の心理にゆさぶりをかける、
アンチの作戦に過ぎないんだけれどもね。
一人でも多く学会組織から引きはがし、
学会組織を弱体化させたいだけなんだよ。


そんなアンチの思惑に、はまる必要なんてないよ。
アンチだって、偉そうなことを言いながら、
アンチの仲間同士で舐めあい、依存し合ってるんだから。
なんにも後ろめたいことなんてないんだよ。


その人が純粋であればあるほど、
単に学会員だというだけで、
単に学会の信仰をしているというだけで、
単に学会活動をしてきたというだけで、
「ごめんなさい」という言葉を
言わなければいけないような気持ちにさせられる。


ちゃんと自分の考えを持ちながら学会員をやってる人も、
「MCされている人」
「気づいていない人」
「内部の悪を支える人」
そんなレッテルを貼られてしまう…。


アンチのそんな悪意に屈する必要なんてないんだよ。


内部外部を横断して、「アンチ教」が幅を利かせてるけど、
その発想の根源には、怨嫉があるだけだと、本当に思う。
この界隈を出会い系だと思っている日和見的なアンチは別にして、
自称学会被害者アンチの共通点は、とにかく学会が恨めしく、
どんな理由をつけてでも、
正論で戦う学会員の足を引っ張りたいんだよね。
【2006/11/06 22:09 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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