スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】 | スポンサー広告 | page top↑
映画「センターステージ」より
soda-breadさんが教えてくれた
「センターステージ」という映画を観ました。
いやぁ、いい映画でした。


自分の道は自分で選ぶってこと、教えられた気がします。
ある人は正統派の道を、ある人はアレンジして崩した道を
ある人はやってきたことを捨てて新たな道を、
それぞれがある夢に向かって自分を鍛えていく中で、
自分のやりたいこと、自分の道をみつけていく。
みつけたものが、最初に目指した夢でなくても、
訓練したことは決して無駄じゃない。
先生になにを言われようとも、
他人になにを言われようとも、
悲しかったりつらいことがあっても、
自分を騙し騙しでも、続けていくこと。


無理矢理この界隈の文脈に繋げちゃうけれど、
「愚直」って必ずしも悪じゃない。
頑張って続ければ、絶対になにか掴めるはずだ。
それを「功徳」とも呼ぶ。それでいいんだと思う。


ミスチルの「any」って曲を思い出した。
>今 僕のいる場所が 探してたのと違っても
>間違いじゃない きっと答えは一つじゃない


ストーリーも面白かったし、感動したけど、
この映画はなによりもやっぱダンスですね^^
バレエ用語がいっぱい出てきて、
それだけで嬉しかった(笑)。
ダンス好き、バレエ好きには、オススメです。
ホント、観て良かった~。
soda-breadさん、ありがとう。
スポンサーサイト
【2007/01/31 14:04 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
アンチどものやってること

こんな感じw
【2007/01/30 12:09 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
問題の本質はなにか
たとえば誰かにセクハラを受けたとする。
それは果たして創価学会のせいなのかどうなのか。
たとえば児童虐待ともいわれる環境で育ったとする。
それは果たして創価学会のせいなのかどうなのか。


社会のあらゆる問題にかこつけて、創価学会が責められる。
それは理不尽だと思うがどうか?
単に人間関係の問題ではないのか?
単に家族環境の問題ではないのか?
それを丁寧に見ていくことをしなければ、
創価学会を不満の捌け口とするだけとなる。


問題の本質はなにかということを、目を背けずに直視することだ。
その本質を探っていけば、創価学会という組織ではなく、
その対象とする人間の、個人的の弱さにたどり着くように思う。
仮に創価学会があろうとなかろうと、
きっとその個人はその問題ある言動をするであろう。
問題点を指摘し改善しようとするならば、
その対象の相手に対して直接、
訴えていかなければならないのではないか。
もっといえば創価学会はなんの関係もないと思う。
だから、創価学会を責めてもなんの解決にもならない、
その人間関係を改善するためには、
現場で個人間の努力をするしかないのだ。
【2007/01/30 00:13 】 | 未分類 | コメント(11) | トラックバック(0) | page top↑
言葉の問題
世に溢れる「問題」とされることって、
つきつめると単に言葉の使い方の問題になってくんだよな。
その「問題」とされることの本質まで考えることはない。
「失言」をヒステリックに責めるのってそういうことだよな。
女性を機械に例えたっていいじゃんか。
なんでそれで軽視してるということになるのか
僕にはちっともわからん。


単純に「機械」という単語のイメージが悪いだけなんだろうな。
俺自身、社会から見たら機械だし、部品だと自分で思ってるよ。
なんだか「天皇機関説」の排撃運動を連想したりする。
「天皇を機関に例えるとは不敬である」と同じように
「女性を機械に例えるとは不敬である」ですかね。


なんにせよ、言葉尻を捉えて、
足を引っ張るレベルだから、ダメだよなあって思う。
文脈で捉えれば「機械」といったのは
「役割を担う人」のことだってみんなわかってるんでしょ?
だったらそれでいいじゃないですか。
わからないんだったら国語をやりなおした方がいいよ。


問題にするべきは、その話の内容であり真意でしょ。
そこを考慮せずに、表面的な「失言」を責めるんじゃなあ。
野党に本当にそんなことして欲しいと思う?
物申すならその人の言いたいことを理解して、
その内容について反論しましょうよ。


だいたい政治家だって誰だって、
その人の持つ言語感覚というのがある。
それを一概に「差別的である」なんて言うから、
肝心の部分で議論が進まないんだわ。
しっかし、なんでそういう攻め方しか出来ないんだろう…。
辞任に追い込めばそれでいいのかね。


やっぱ、表面的にはオブラートでくるんだ言葉の使い方で、
真意を伏せながら上手に国民を誘導する政治の方が、
日本人には合ってるんじゃないかな。
表面的な言葉が耳障りよければ、
それだけで満足するのかもしれないぜ。
いいじゃん、「美しい国」(笑)。
【2007/01/29 05:39 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
みんな幸せ
本当は誰だってみんな、幸せなんですよ。
自分が不幸だと思う人って馬鹿なんです。
馬鹿だから気づいてないだけです。
今僕は幸せいっぱいだけれども、
不幸だなと思ってた時って、馬鹿だったもの。
自分が不幸だと思う人は、まず、
自分の馬鹿さ加減に気づいたほうがいいね。


だいたい、自分が不幸だと思うことは、
世のすべてのものに対して失礼です。
またその報いとして地獄に堕ちるわけです。
因果倶時ですから、不幸だと思った瞬間に、
その人は地獄の境涯となってるのだなあ。
【2007/01/27 12:11 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
謝罪するくらいなら最初から書くな
人と人のが集まるコミュニティを
混乱させるもののひとつとして、安易な謝罪がある。
悪いと思っていないのに、とりあえずの気持ちで
謝罪するのは不誠実であり、覚悟がない証拠だ。
なにかを主張する者ならば、口を開く前に、
それに関するあらゆる情報を検討し、
想定される反論を予想していてしかるべきだろう。


アンチは誰彼に対しても「謝罪せよ」と言う。
たいていそれは弱い者に対して向けられる。
相手の日本語能力の低さをわかっているくせに、
言葉尻を捉え曲解し、吊し上げるわけだ。
常に生け贄を求めているのがアンチである。


アンチは偉そうなことを言うけれど、
多分に学会憎しの感情だけで動いている。
ことの本質を知ろうなどという気は毛頭ない。


自分たちに都合の良い情報(しかも出所が怪しいものが多い)を
つなぎ合わせて、
「ほうら、こんなに創価学会は悪い」
と言いたいだけだ。
また、創価学会擁護者の揚げ足をとり傷つけることで、
「ほうら、こんなに学会員は悪い」
と自己満足し、安心する。


彼らには「創価学会が悪い」ということがまず結論としてあり、
自分たちは「気づいている人間」という選民的意識を持っている。
学会員を「気づいていない人間」と決めつけ、
蔑み馬鹿にしているわけだ。


相手に対して「謝罪してください」と言うのは、
相手を悪いと決めつけているから出来るのだろう。
その主張をした経緯や、状況を聞く耳なんて持ってない。
説明しようと言葉を尽くせば「言い訳するな」とくる。
その態度は傲慢だ。


誰かに謝罪を求める人というのは、
謙虚を装っていても傲慢な人である。
相手に筆を折らせる魂胆であり、戦法の一つなのだろう。
僕は、卑劣だと思う。
少なくとも僕は誰に対しても、
「謝罪してください」なんて言ったことはないな。


まあ、どっちにしたって「謝罪してください」って言われたとしても、
その要求の根拠が想定の範囲内であるなら、
僕は謝罪することは無い。
そんなことはわかった上で、書いているわけだから。
「おおっ、そうか! なるほどそんな見方があったのか。
だったら俺が悪かった、ごめんなさい」
って言えるような根拠を持ってきてくださいよ、って思う。
ただ「傷つきました」って言われても、
「ふーん、だから?」ってなもんです。
文章を使ってなにかを主張するっていうのは、
そのくらいの気持ちで当然なんとちゃうかな。
【2007/01/26 10:41 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
もっと柔軟になりましょ
学会員は二枚舌だとかなんとか言われるけど、
相手によって言い方を変えたり、
言う内容を選んだりするのは、
あたりまえのことなんだよな。
相手の機根によって変わってくるものでしょ。


それを許さないということになるから、
アンチの人間関係は破綻するわけです。
理屈を重ねていけば、先鋭的になるし、
妥協を重ねていけば、主張がぶれる。


創価学会は、それが悪でない限り、
一人ひとりがどんな価値観を主張しようが許される。
だから、学会を語るとき、その学会員によって言うことが違う。
それが当たり前のことだし、それでいいんです。
主張が違うからと言って、学会を追い出したりはしない。
主張が違う者同士が対話を通して、
中道を見つけるのが学会流だろう。


もっといえば、人間、表もあれば裏もある。
綺麗な面もあれば、汚い面もある。
その両方を認めることが出来ない人は、
柔軟性のない偏頗な人間となってしまう。
柔軟性のない人間同士が言葉を交わしても、
結局のところ、譲れない部分に言及したとき、
関係が破綻する。


また、物事を一面的な見方しか出来ない者がアンチとなる。
創価学会に限らずすべてのものは立体的な多角形をしている。
アンチはそれを無理矢理平面で捉えようとするから、
いびつな形にしかうつらない。
それをひっくり返してみたり、のぞき込んだりすれば、
なぜそうなっているのかがわかる。
「それをせざるをえなかった」背景を理解できるはずだ。


物事に対する観察の仕方が一面的で、
人間という生き物を理解出来ないことが、
アンチとなる一番の原因だと思うよ。
彼らは息の通った人間よりも、無機質なルールを好む。
人間感覚とでもいうべきものが欠落しているのだろう。


たいていのアンチは「潔癖性」である。
学会員というのは「きれい好き」程度だと思う。
【2007/01/24 14:24 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
幸せならいいんですけど
アンチのいかれちゃった度合いが、
アンチのイメージダウンに繋がると思うんだけどな。
「学会辞めるとこんな風になっちゃうぜ」って感じ。
ホント、俺はアンチから足を洗っといて良かったよ。
今となってはあんな性悪な人たちを守ることも、
仲間となることも出来なかったと、本気で思う。


アンチの人格が立派であろうとすることを放棄すれば、
未熟な学会員を批判する資格も、
その説得力もなくなるじゃないか。
それなら未熟であっても、立派になろうと
前向きに頑張ってる学会員の方がマシだもの。


アンチが学会員以上の実証を示しているなら、
そりゃあ学会なんて必要ないって思うだろう。
アンチの振る舞いによって、人は判断する。


それにしても、今のアンチってのは偏狭だよな。
どんなスタンスの人間がいても許すからこそ、
「学会組織」のアンチテーゼとしてのアンチだろうに。
なんだかアンチにも看板があるみたいよ?
やっぱり「アンチ創価学会教」じゃないか…。


アンチというのは勝手に自称できるからこそアンチだと思う。
いろんなスタンスを許してこそ立派なアンチじゃないのかね。
今のアンチの存在は、自分たちがイメージして批判する
「学会組織」みたいになってるじゃん。
まあ、アンチに自由が無いってことは、
元アンチの僕にはよくわかるし、
だからこそアンチを辞めたわけだけど(笑)。


学会員の僕の方がよっぽど自由にものを考え、
よっぽど自由にものを言ってるぞ。
…まあ、いいや。


どっちにしてもアンチはそれでいいのなあ。
いや、いいならいいんだけど。
また、それで幸せだと言うのなら、それはそれでもいいんだけど。
創価学会を恨んで生きていく一生か…まあいいかもね(笑)。
【2007/01/22 12:45 】 | 未分類 | コメント(7) | トラックバック(0) | page top↑
罰は存在する
学会員は「対話しようぜ」「仲良くしようぜ」と言ってる。
アンチは「対話するな」「仲良くするな」と言ってる。
どちらの姿勢がまともか、明白だと思うけどな。


他人の価値観を認められない者が、極端なアンチになる。
自分の価値観に従わせようとして従わない相手を、
「傷ついた」という武器を使って攻撃し、口封じに追い込む。
冗談をいう人には「配慮が足りない」と言いがかりを付け、
笑顔の人には「私の気持ちがわかってない」となじる。


「自分は悪くない」と思いこんでいるから、たちが悪い。
周囲を自分の価値観だけで測っていることに気づいていない。
対話を拒否すると独善に陥るという良い見本だ。


それにしても、何人の人がこの界隈から抹殺されただろう。
それでもなおアンチは満足しない。
自分勝手などす黒い怨恨の炎を、投げ続けている。
これを不幸といわずしてなんと言おうか。
やっぱり、罰は自らの身から厳然と出るものだな。
【2007/01/21 10:22 】 | 未分類 | コメント(10) | トラックバック(0) | page top↑
おまえらこそいじめてるじゃねーか
弱い者をいじめて追い込み、
その口を封じておきながら、自分に都合のいい解釈をして、
自分たちこそいじめられていた、なんて主張する者が居る。


強い者に対しては、放棄だなんだと言って逃げるくせに、
弱い者に対しては、集団で徹底的に叩いてボコボコにする。
こういうのを「いじめっ子」って言うんだよ。
謝ったとしても容赦なしだ。
この界隈から排除するまで、攻撃の手は緩めない。


アンチどもの次のターゲットはあなたかもしれない。
僕とやりとりをした人は気をつけた方がいいぜ。
僕と接触した人は「シンパの擁護者」に祭り上げられるからね。
彼らって本当に、最低な人たちだと俺は思うよ。


彼らがいじめられたと言うのなら、俺だっていじめられてるよ。
「gizmoってキモイな」ってなこと言ってるならまだしも、
「gizmoとつきあうヤツもキモイな」ってとこまでいってるもん(笑)。
【2007/01/20 17:47 】 | 未分類 | コメント(6) | トラックバック(0) | page top↑
『千の風になって』かあ
僕も紅白で見てたんだけど、
『千の風になって』が売れているそうだ。


私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています



愛別離苦は誰にだって訪れる。
だけど、泣いていてもはじまらないんだ。
今までに死に別れた人が、もし仮に、
今の僕を姿を見ることが出来たとしても、
その人を失望させないように生きていたいと思う。


悲しみにくれて泣き崩れることは簡単だ。
でも、僕が死にゆく者だとしたなら、
生き残る人に対して、笑っていて欲しいと願うと思う。


だから、僕は笑う。
主体的に今を楽しもうと努力する。
生を無駄にせず生きたいと日々祈り、誓う。
僕が生き生きと楽しんで生きることが、
彼らに対してのなによりの供養だと信じているから。


死にゆくものは生き残るものに対して、
絶望して欲しいなんて思っていないはずだ。
常に希望を持って、生き抜いて欲しいと願うはずだ。
その気持ちに答えて、僕は精一杯生きたいと思う。
【2007/01/20 12:45 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
最近のこの界隈に思うこと
てゆーか、アンチのみなさんには、ヴォルテールの言葉を贈りたいな。


「私は君の意見には反対だが、
君が意見をいう権利は死んでも守る。(ヴォルテール)」



誰かが発言した内容を執拗に取り上げ、
追いつめ追い出し、抹殺する。
そんな姿勢がアンチにはある。
「傷ついています」「怒っています」
そんなことを盾にして、誰かの言論を封殺する。
そのくせ人権擁護法案に物申したりしてるんだぜ。
自分たちの方がよっぽど悪質じゃないか。


ひとたび学会員の味方とみれば容赦ない。
名指しで攻撃し、去るまで徹底的に追いつめる。


アンチのどこに自由があるんだ?
「アンチ創価学会教」というカルト宗教じゃないか。
【2007/01/20 00:35 】 | 未分類 | コメント(7) | トラックバック(0) | page top↑
個人単位で見ること
学会員だろうと外部からだろうと
創価学会に触れる機会があって、
学ぶべき最も大切なことは、


「世の中いろんな人が居る」


ってことだと思う。
ぶっちゃけ、このことだけ学べればいいんじゃないか。
ネットの中でいわゆる「学会問題」と呼ばれているものは、
すべて人間関係の問題であり、
特に「学会問題」として括らなくても、
そんなことは世の中に溢れてる。


宗教が違うということは、価値観が違うということだ。
価値観が違う者同士がどうやってうまくやっていくか、
これを模索することを放棄するならば、
いわゆる「妄信的な学会員」と同じだろう。
ただ単に所属陣営が変わっただけだ。


たとえば、僕は中国が好きだけれども、
中国を嫌いな人が居ることもわかる。
中国人も含めて中国の理不尽な所行があるのも知ってる。
でも、隣に中国がある以上、日本としては日本人としては、
うまくつきあっていかなくてはならないと思ってる。
日本にも中国にも人間が居るからだ。


反中だ反日だと声高に言う者がコンフリクトを引き起こす。
そういう者に限って、論理的根拠が云々、
文献資料が云々と言い出して、現在の状況を無視し、
仲良くなりかけた関係を壊そうとする。


中国と日本の関係でもそうなんだけれども、
結局は、ミクロの個人単位の人間関係に帰結する。
中国共産党の言ってることなんて、ぶっちゃけどうだっていいんです。
「上に制作あれば、下に対策あり」と言われるくらいだしね。
中国といっても個人の集まりなわけです。
それを「中国共産党による独裁」なんていう風に
ネガティブな印象を抱かせることを狙った言い方は、
大衆を操作しようとするなにかの思惑を感じるんだな。


で、学会話に戻ってくると、これが全部あてはまる。
「創価学会は池田大作をトップに据えた全体主義だ」とかね。
実際は全然そんなことはなくて「いろんな人が居る」のに。


「中国人」と一括りにしてマイナスイメージを抱えている者と、
「学会員」と一括りにしてマイナスイメージを抱えている者は、
程度は同じでなんですわ。
中国人にも「いろんな人が居る」のは当たり前だし、
学会員にも「いろんな人が居る」のは当たり前。


「学会員とはつきあえない」と公言する人も多いですけど、
それってすごい偏狭な人間だと思いますよ。
「中国人とはつきあえない」と言っているのと同じレベルですから。
アンチの人たちってのは(まあアンチもいろんな人が居るけどねw)、
「学会員との結婚はしないほうがいい」とか、
「学会員の恋人とは別れたほうがいい」とか、
そんなことを言ってる。
このことがどれだけおかしなことを言っているか
自分でも気づいてないのかもしれないところが
アンチの危ういと思うところなんだよな。
単純というか、「学会憎し」の感情に囚われているというか。
つまり、他の価値観を認めることの出来ない
ナショナリズムに囚われてるようなもんです。
島国根性と言ってもいいかもしれない。


僕がいつも「個人の問題だ」と言うのには、こんな背景がある。
アンチはまた「決めつけ」ということを嫌っているようだけれど、
学会員だからということで「決めつけ」しているわけです。
おかしな学会員は居るけれど、それは学会の施策が悪いのではなく、
いろいろな学会員が居て、そのうちの一人がおかしな人なだけなんだよ。
それを、「学会員は」「創価学会は」という主語で、
あたかも全体がそうであるかのように語るアンチは、
偉そうなことを言うわりには「わかってねえなあ」って思うんだよな。


もちろん先日書いたように、
学会員が悪いことをすれば「あいつが」とは言われず、
「あの学会員が」と言われるのが普通だからね。
普通の人の捉え方ってのはそういうもんだ、しかたない。
(だから内部に未熟な人が居る以上、どんなことをやっても
創価学会は叩かれ続ける運命にあるわけだけれどもねw)。
でも、「客観的に」「冷静に」などと自称している人が、
局所のことを全体のように語って訳知り顔をする人は、
見ててイタイんだよね…。
【2007/01/19 11:08 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
不二家叩かれすぎじゃね?
http://www.asahi.com/national/update/0118/TKY200701180362.html


いいじゃんか、虫ぐらい。
しかも菓子の中袋の中じゃないんでしょ。
日本人の潔癖性は病的だと思う。
殺虫のために薬品を使えば使ったでまた文句を言うくせに。
有機野菜が良いとかいうなら、虫くらい気にすんなよ。


しっかしなんだか最近、ここぞとばかり不二家のこと叩きすぎ。
マスコミの底意地の悪さを感じるわ。奴らは人間じゃないね。


ジャーナリズムってのは聞こえがいいけど、
要は面白かったらそれでいいんでしょ。
それで、不二家の関係者が悩んだ末、
自殺でもすればそれで新たにネタになって、
マスコミとしてはOKなんでしょうね。
ジャーナリズムを自称し、その耳障りの良さを利用して
なにかを叩く者はホント、性根が腐ってると思うよ。


魚拓
http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/national/update/0118/TKY200701180362.html&date=20070119004026
【2007/01/19 01:22 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
スルー力(りょく)
http://news.livedoor.com/article/detail/2976748/


スルーする能力、大事だね。
気にして意味のあることは大いに気にすればいいけど、
意味のないことは気にするなってことよね。
この界隈にも「スルー力」磨いた方がいい人、
多いんじゃないかな?(笑)
他にもっと大切なものがあると思うぜ。


魚拓
http://megalodon.jp/?url=http://news.livedoor.com/article/detail/2976748/&date=20070113095648
【2007/01/13 10:02 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
やっぱ嫉妬なんだよな
最近やっぱり、アンチを自称する人の多くは、
学会と学会員に「嫉妬している」と認めてもいいかと思ってる。
僕がアンチだった頃は、学会員は学会を否定する人のことを
話も聞かず考えもせず、なんでもかんでも「嫉妬している」と
結論づけているように思えたけれど、やっぱりそうでもないや。
学会員が生き生きとしてたり、へこたれなかったりする姿勢が
自分にはそう出来ないもんだから、うらやましくてムカつき、
足を引っ張ろうとするのだろう。
本当にどうでもいいと思ってるなら学会なんてほっといて、
自分のやりたいことをやってればいいんだもの。


なんだかんだと後付けの理屈を付けるけれど、
学会員が落胆している姿を見たいというのが、
彼らの学会員を攻撃する目的じゃないかと思う。
まともな学会員は、いつだって楽観的だし、
細かいことにこだわらず前向きで、
なによりも、朗らかだもんね。
【2007/01/11 22:54 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
外の日本人と、外の学会員
日本の評判を支えているのは、
海外で活躍する日本人であり、
そういう日本人は、とても日本を愛していると思う。
安っぽい言葉で表現出来ないほど。


創価学会の評判を支えているのは、
組織の外で活躍する学会員であり、
そういう学会員は、とても創価学会を愛していると思う。
安っぽい言葉で表現出来ないほど。


海外で活躍する日本人は、日本を背負っている。
悪いことをすれば「あいつが」とは言われない。
「あの日本人が」と言われる。
今、日本に生きる僕ら一人ひとりは、
そんなことをなかなか想像することはない。


学会員も同じで、組織の外に出たとき、
悪いことをすれば「あいつが」とは言われない。
「あの学会員が」と言われる。
組織にどっぷり浸かっているだけの学会員には
わからないだろう。


日本の中に居て、日本に住んでいるということは、
日本という国に守ってもらっている状態なのだと思う。
また、学会の組織の中に居て、
組織での役割を割り振られているのは、
組織に守ってもらっている状態なのだと思う。
本来なら組織に頼ることなく、
自分でやりたいことを決め、決心し、
自らやり遂げなくてはならない。


僕が敢えて言いたいのは、どんどん組織を離れて、
組織に守ってもらうことなく、組織に頼らず、
どんどん社会で活躍せよ、ってことだ。


組織の外で、
「君は立派だね。なにがそうさせるんだい?」
と言われたとき、
「僕は学会員ですから」
と言えたときに、はじめて学会の評判が上がる。
そうやって一人ひとりがコツコツと、実社会でやってくしかない。
なにか内部の制度を変えたって、学会の評判は上がらない。
創価学会を構成しているのは、一人ひとりの人間だからだ。


実は、池田名誉会長の真意は、そこにあると思うんだがな。
それでも敢えて内部に留まり活動をしたいと言うのだから、
組織についている活動家は、全て志願兵なはずだと思う。
【2007/01/10 14:52 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
主師親の三徳を備えよ
師弟不二の徹底というのは、つまりは、
一人ひとりが主師親の三徳を備え、
一人ひとりがその覚悟を持って、
堂々と強く生きることではないか。


社会の「主」として、主体的に考え振る舞い、
人々の「師」として、人の模範となる意識を持ち、
仲間の「親」として、同志を慈愛する。
社会に生きる一人ひとりが、
そうなれたときが広宣流布の時だと思う。


師匠を手本とするなら、
それと同じように真似、あらゆるシーンで
師匠と同一な振る舞いをすることが、
師弟不二の意義だろう。


人本尊としての日蓮の振る舞いこそが血脈であり、
その振る舞いが不二として受け継がれていることが、
興門流であり、創価学会の哲学の本意だと思う。


つまり「お前が日蓮の覚悟で生きろ」というメッセージに他ならない。
【2007/01/08 04:18 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
軍隊で治療かー、やるなあ
http://www.asahi.com/international/update/0106/010.html


もうなんだか、こういうことやっちゃうところが、
俺、中国って国が結構好きなとこなんだよなー。
てゆーか、日本も見習うべきとこというか。


まずは極端なことをドンと打ち出して、
やってみてから徐々に調整していくのとか。
そういうのって、もう今の日本じゃ出来ないよ。
だから、国力が落ちていくんだと思うし、
日本という国の魅力がなくなっていくわけで、
なんとなくだけど少子化もこのへんに
原因の一つがあるような気がする。
たとえば「産めよ増やせよ」と言えなくなってる。
そもそも、今の日本はなにかを打ち出しても、
その足を引っ張る小賢しい
「アンチ」ばかりになってしまった。
透明性をどこまでも求めて、
手続きが多くなったり、
小さなミスを責め立てたり。


また、一部の不正をする悪いヤツのために、
全員が疑いの目でみられ、
チェックを受けなければならない。
もちろん悪いヤツは悪いんだ。
でも、目をつぶっても全体的な
パフォーマンスが上がるなら、
そうした方がいいと思うんだな。


そんなことをやってるうちに、
他国にどんどん追い抜かれていく。
よく競争社会が問題にされるけれど、
要は国境が無くなっただけで、
世界のスタンダードに合わせなきゃ
なんなくなっただけだよね。
幕末には見えやすい黒船がやってきたけど、
現代は目に見えない黒船がやってきてるわけだ。


今の日本は無駄な会議の多い会社みたいだと思う。


いっそのこと創価学会を見習った方がいいんじゃないか。
たとえば今年は「前進・勝利の年」なわけで、
毎年そういうスローガンを掲げてる。
スローガンはなにもかもが悪いわけではなく、
バラバラな構成員が一致団結するには
必要なものなんじゃないのかな。
日本はいつの間にか国民の一致団結ということが
出来ない国になってしまった。
まあ、つまりは情報化社会の末路なんだろう。
まだ創価学会の方がマシ、とも思っちゃうんだよな。
学会が目を向けてるのは世界だしな。


あ、いつの間にか学会話になってしまった(笑)。


魚拓

http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/international/update/0106/010.html&date=20070106090812
【2007/01/06 09:23 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
いいじゃん格差
http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMITzv000027122006

「宋文洲の単刀直入」


うん、なかなか良いことを言うな。
「偶然や運命に文句を言うのは子供のすることだ」
ってのはその通りだよ。
たとえば自分が創価学会の家に生まれたというだけで、
文句を言ってるのって、どうなのよって思うんだ。
本当に本当に思うんだけど、
現在の日本に生まれただけで、ものすごい幸せだと思う。
たぶん僕らは、明日も生きていられる。


格差だ不平等だと騒ぐ人が多いけれど、
日本人の僕らは現在、絶対的な豊かさを一人残らず享受している。
格差だ格差だと騒ぐ者は、他の誰かと比べるから
自分が惨めだと思うのだろう。
そんな相対的価値に囚われてしまって、
自分自身の価値を見いだせないことが本当の不幸だと思う。


一応魚拓

http://megalodon.jp/?url=http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx%3fn%3dMMITzv000027122006&date=20070101205717
【2007/01/05 15:18 】 | 未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | page top↑
掲示板立ち上げました~
大白蓮華って面白いよなあ。
大白蓮華を読んでると、
心打たれて涙することがあったり、
なるほどと納得できることがあったり、
疑問に思うところがあったり、
いろいろな思いが浮かんでくると思うんです。
それを、ひとりで抱えているのはもったいない。
誰かに伝えて、感じた気持ちをシェアしたい。
そんな思いで掲示板を立ち上げてみました。
大白蓮華を読んで思ったことを伝え合って楽しみましょう。


「大白蓮華読もうぜ!」
http://jbbs.livedoor.jp/study/8211/


みんなきてね☆ミ
よろしく~。
【2007/01/02 10:41 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
あけおめです
昨日紅白歌合戦を見ていたわけだが、
歌番組なんて滅多に見ないから新鮮だったわ。
てゆーか、年に一回紅白しかみないかも。
裸のボディスーツは、NHKの必死さが伝わってきて
微笑ましかったのだがそんなことはどうでもいい(笑)。
で、TOKIOの「宙船」を聴いたのね。
コレがなかなかいい曲だわ。
さすが中島みゆき。


http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A01812

宙船(そらふね)歌詞


「おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな」


善人のフリしてわかったようなことを言うアンチどもは、
「学会員が消えればいい」くらいに思ってる。
耳障りの良いことを言うけれどホンネはこんなとこさ。
学会員と聞いただけで眉をひそめ、積極的に差別する奴ら…。
そんな学会員が消えて喜ぶ者に、耳を傾ける必要はない。
相手をするにも値しない。
彼らはいつだって学会員を傷つけようと虎視眈々と狙っている。
学会員の苦しむ姿を見ることが、彼らにとって喜ばしいことなのだ。
そんな奴らに邪魔されてたまるもんかよ。
自分が正義と信じた先へ、自らの力で進むしかない。


http://www.youtube.com/watch?v=8ZD9BMbYr0M

TOKIOのPV


ってわけで、ことよろ~。
【2007/01/01 12:47 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(1) | page top↑
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。