『創価学会問題をぶつぶつ語るパート2』って感じ(笑)。テキトーに書くこともさることながら、あちこちでgizmoが書き散らしたのを集めてたりもする。平気でマルチポストします(ぉ)。
主体的に物事を考え、己の行動を決めることが、
「アクションを起こす」ということだと思う。 そしてこの中には「待つ」ということも含まれる。 自分で考えた上で「待つ」ことを選択したのならば、 それこそがアクションに他ならない。 このアクションのことは、「忍耐」とも「辛抱」とも言える。 がむしゃらに猪突猛進するだけがアクションではない。 そのへんがわからないと、おかしな人になってしまうのだ。 ときに「忍耐」や「辛抱」を選ぶこともアクションなのである。 スポンサーサイト
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苦しみながら必死で走っているときに、
「足を止まればラクになるよ」 「止まっても誰も悪く言わないよ」 なんて言葉は悪魔の囁きだと思う。 生きることはマラソンに似ている。 法華は「頑張れ!」という激励。 念仏は「もう十分だ」という慰め。 走ることを諦めてしまったら、 決してゴールにはたどり着けない。 既に負けてリタイヤした者は、なぐさめあう仲間が欲しい。 だから、君に「もう十分だよ」なんて言ってリタイヤを誘う。 負け癖のついた者の言葉に、 耳を傾ければ自分まで引きずられる。 敗者の恨み節なんて聞く必要はない。 なんのために走るのか。 それは全て自分のため。 誰かのためなんかじゃない。 僕だって走っている。 だから、必死で走っている人の味方でありたい。 これからも僕は「頑張れ!」って言い続ける。 |
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