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自称元活動家
コメント欄にphotochikaさんが書いたように、
インターネットでは自称元活動家がウヨウヨしてる。


あたかも体験したかのように書くけど、
ネットに転がってる情報を寄せ集めて
切り貼りしてるだけかもね。
目的のためには手段を選ばないよねえ。
平気でウソだってつくよ。


本当に活動していたのか、あやしいもんだ。
「私、活動家でした」と言えば、
それで活動家の発言とされちゃう。
インターネットってそんなもんだわ。


あ、僕はれっきとした元アンチですよ。
gizmoというハンドルで、
アンチなことを書いてましたし、
アンチな掲示板も運営してました。
過去のアンチな発言は、まだネットに残ってますw
(ブログが消えちゃったのは残念ですが…)


アンチの元気のなさ、意地汚さに、
嫌気がさしてやめました。
彼らは学会のこと学会員のことを指して
悪口を言うけれど、実は自分たちのことを
言っているんだと気づいたんですね。
学会組織の重箱の隅をつついているくせに、
その重箱の隅のやり方を引き継いでいる。
彼らこそ、マインドコントロール的手法を多用します。


創価学会を知らなくてもアンチは出来ます。
そこらへんに転がってる自称元活動家の言葉に、
適当に憶測を加えて書けばいっちょあがりです。
インターネットのアンチなんて、そんなもんです。
だまされないようにしたほうがいいよw
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【2008/01/31 09:09 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
創価学会を支える学会員
内部にせよ外部にせよ、
以前いわゆる学会活動をして辞めた者が、
いわゆる活動に熱心でない者を、蔑みバカにする傾向がある。
いわゆる学会活動に熱心でない学会員のことを
凹ませることを狙っているのだと思うが、
耳を貸す必要はないと思う。


いわゆる学会活動なら、僕は特に熱心ではないが、
僕は社会に出て仕事をし、社会活動している。
こんな僕のような学会員がゴマンと居る。
学会を支えているのは、実はこういう学会員だ。
萎縮する必要はない。
自信をもっていい。


社会でカネを稼ぎ、幸せをつかむ。
余裕があれば捨ててもいいと思う額だけ財務をする。
それで十分だ。
十分でないという学会員がいるなら俺が破折してやるw


財務部員は、学会の組織を資金の面から支えている。
だから、胸を張っていい。
では、いわゆる学会活動を頑張っている人に比べて、
ツライ思いをしていないかといえば、そうじゃない。
社会で戦っていくというのは、いわゆる学会活動以上にツライ。


学会の組織の内部での場合、
学会員は組織によって守られている。
いわゆる学会活動というのは訓練でしかない。
実際の社会での仕事が本番だ。


僕ら、社会で戦っている学会員が、
なぜ組織を守りたいと思うのかといえば、
そういう訓練の場所を維持したいがためだ。


今日も組織の内部の、未熟な学会員がミスを犯し、
社会においての創価学会の評判を下げる。
そしてその泥を、僕らがかぶる。
それでいい。
そんな未熟な学会員も、前を向こうとしている。
試行錯誤を繰り返し、いつか立派になれるはずだ。
それを信じて、僕らは悪口罵詈に耐える。
十分、いわゆる活動に匹敵する「行」だ。


僕らのような学会員が、創価学会を支えている。
これは疑いようのない事実であり、僕らのことが
気にくわない輩でも認めざるを得ないだろう。
いわゆる活動している者が上、
いわゆる活動していない者が下、
なんてそんなことはあり得ない。


そんな上下の感覚があったからこそ増上慢となり、
果ては、いわゆる学会活動をしていない者を、
蔑むようになってしまったのだろうな。
【2008/01/30 19:02 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
なにかで勝て
強くなりたいから努力をする。
上手になりたいから努力をする。
これを僕は絶対に否定したくはない。


自分の強さを知るには、競争が一番ハッキリする。
他人との比較や全体での順位付け。
これらから目を反らしてはならない。


競争から逃げることは、人生から逃げることである。
競争を受け入れ、好成績を撮るために、頑張ること。
そうやって戦い続け、試行錯誤し、自分の力をつけていく。
そして、いつか望みを手に入れる。
望みの自分になるためには、戦い続けるしかない。


嘘つきは「勝とうとするのをやめろ」と言う。
それは、敗者の仲間を増やしたいからかもしれない。
なりたい自分になることを放棄した姿だ。


もっとシンプルにあるがままの方がいい。
勝てば嬉しい。
負ければ悲しい。
だから、勝つために頑張る。
負けないために頑張る。
それでいいじゃないか。


もっと言えば「勝った」「負けた」と
喜んだり悲しんだりするのが、
人生の醍醐味ではないか。
おもしろく生きるとはそういうことだと思う。
それを「優越感を満たすため」などと決めつけ、
もっともらしく蔑むから、偏頗になっていく。


今の日本は幸せなことに、
勝ち負けのベクトルが無数に存在している。
商売で勝つ、趣味で勝つ、スポーツで勝つ、などなど。
なんだっていい。
なにかに勝つことが出来れば、自信がつく。
自信があれば、なんでも出来るようになる。
自信さえあれば、苦境に耐えることも出来る。


シンプルに世間を眺め考えてみよう。
勝つことの出来た人間は人格者だ。
負けぐせがついた人間は卑屈である。
(逆に言えば人格者でない者は、
実は勝つことが出来てないとも言える)


なにかで勝て。
努力して勝て。
そのときに、はじめて人の気持ちがわかる。
人の涙の意味がわかる。


そしてその先の、
人の生きる意味、人の生きる目的も、
きっとみえてくるだろう。
【2008/01/21 10:21 】 | 未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | page top↑
あけましたね
2008年のはじめにNHKで放映した、
『年の初めはさだまさし』を観た。
ビデオで撮っておいたのを、今観たよ。


さだまさしがハガキを読んで、
いろいろしゃべるんですけどね。
その中で、さだまさしが言ってたこと。
いいなって思ったので書いておこう。


『心の闇とかいう言い方は僕はあまり好きじゃないんです。
心の闇なんて誰にでもあると僕は思います。
心に闇がない人に僕は会ったことがない。
人間は闇を持ってるもんだと思います。
その闇とどう向かい合うか、ということとか、
それから、その闇とどう戦っていくのかってのが、
俺、なんかね、一所懸命生きてることの証のような気がしてね。
だから、闇をあきらめてもいけないし、
まあ、飲み込まれてはいけないし…。
そういう意味ではね。
とっても難しいなと思います。』



その通りだなあ、って僕も思ったんです。
「心の闇」ってのは本当に誰にだってある。
僕にだってある。
学会員であろうと非学会員であろうと、
一人ひとりにみんな「心の闇」がある。


では、その「心の闇」と戦っているかどうなのか?
大切なのはそういうことだと思うんだよなあ。
見て見ぬふりをしていないか?
あきらめてないか?


生きることは戦うことだ、と僕は思う。
なにと戦うのかと言えば、
学会員の文脈で言えば「己心の魔」です。
一般の文脈で言えば「心の闇」です。
僕は戦おうと思っていますよ。
一生戦って生きていきたい。


今の自分は「心の闇」に支配されてないか、
それをちゃんと監視できる自分自身でいたい。
支配されてしまえば、ネガティブな言動として表出する。


ポジティブに、前を向いて、
周囲を明るくするように心がけること。
これが戦うことだと思う。


「心の闇」を抱えていることが大前提の
人間というものを憎からず思えるか。
あるときはその「心の闇」を許せるか。
「心の闇」以上の光で、照らしてあげられるか。


でも、「心の闇」は決して肯定していいものではない。
肯定した時点で、やはり「心の闇」に負けている。
そうやって、日々「心の闇」と戦っていくこと。
「心の闇」に支配されている人がいれば、
「一緒に戦おうよ」と言って勇気づけていくこと。


そんな風に今年も、少なくとも僕は、
自分の中にある「心の闇」と戦っていきたいな。
【2008/01/04 13:32 】 | 未分類 | コメント(12) | トラックバック(0) | page top↑
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