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アンチ学会は親ダライラマ派?
反創価学会派というのはおおむね、
なぜか親ダライラマ派だったりするんだよ。
なんでかねえ?
創価学会が親中だからかね?


まあ、いいんだけどさ。


ともすれば宗教自体を否定する彼らが、
ダライラマなんていうラマ教のボスを
支持するのはなんでかね?
ダライラマなんて存在は俺からすると、
まさに「宗教」って感じがしますけどね。
ダライラマこそ世襲制の絶対君主であり、
民主主義とはほど遠いですよ。


それでも彼に人気があるのは、そのカリスマ性ゆえ?
そういう根拠ならば、池田大作という存在に、
心酔する学会員を馬鹿にはできないねえ。
ノーベル平和賞をもらってるから?
それは権威主義ってもんだよねえ。


俺のみたところで、一番大きい根拠は
「反中国」というイデオロギーだと思うんだな。
でさ、これってつまりは政治的思惑なのよね。
彼らは大上段でもっともらしく
人権がなんとかとか言い出すけれど、
要は政争のネタに過ぎないと思うんだけどなあ。


俺はラマ教にもダライラマにも、
なんの恩もないし義理もないので、
単純に中国を応援するよ。
もっというと日本なんて、
中国の一部だと思ってるしね(笑)。
たまたまにその間に日本海があっただけだよ。


そんなことより、日々の自分の暮らしの方が大切。
たとえばこの国の名前が中華人民共和国になっても、俺はかまわんよ。
そもそも世の中に「民族の誇り」なんていうものがあるから、
コンフリクトが起きるんだ。
「そんなもん、捨てちまえ」ってのが、
仏教的だと思うけどどうかね。


いいじゃん、チベット人も日本人も、
中国人に同化しちゃえば。
少なくとも日本人は得意でしょ。
もうすでにアメリカ人に同化してるんだし(笑)。
さらに言えば中国人であっても富裕層は、
もうすでにアメリカ人に同化してる。


そういうもんだし、それでいいのよ。
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【2008/03/24 23:05 】 | 未分類 | コメント(39) | トラックバック(0) | page top↑
「中の人」では覚悟が持てないよねえ
まともな学会員が組織の中には、なかなか居ないように、
まともな日本人は日本の中には、なかなか居ないのではないか
(もちろん立派な人も、学会の組織の中にも日本の中にも居るが)。


日本という集団を飛び出し、「日本人」という精神を発揮し
世界中のどこかで活躍することではじめて
「日本」は保たれているのではないか。
日本の国の中で、ウダウダ言ってるうちは、
その人は日本人的精神を発揮できておらず、
「日本」を語る資格などないのではないか。


日本の精神というものを知ろうとするなら、
日本の中に居ても、きっと分からない。
比較するものが感じられないからだろう。
外国の空気を吸って、そこに生きる人たちの価値観を知り、
そこではじめて、日本人の価値観というものが分かる。
分かったときにはじめて、日本人的精神を発揮できるのだろう。
「自分が日本人だ」と意識出来るのは外国に居るときだけだ。


日本の国土の中に住んでいる日本人は、
その享受している福祉を感じられることが出来ず、
安穏と生きられることが当たり前だと感じ、ワガママになる。
守られることが当たり前では、虚弱体質となる。


日本の国土の外に住んでいる日本人は、
現在の日本の豊かさ、その自由さを知っている。
外からの目で日本に住む人を見ると
「そんなに恵まれた環境なのになぜ?」
と、思うことだろう。


外国で戦ってる日本人は、もっとツライ苦しみを味わってる。
日本の中で安穏と暮らしてる僕らが、
やれストレスだ、やれ精神病だ、なんて言ってられないでしょう。


まあ、僕も日本の中に住んでいる日本人であるわけだけれど。
【2008/03/22 11:07 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
他力本願なひとたち
「学会はなにもしてくれなかった」とか、
「学会はそんなこと教えてくれなかった」とか、
そんなことを言ってるアンチが居る。
そんなアンチに対して俺が思うのは、
「どんだけ依存体質なんだよ」ってこと。


勉強って自らが自らのためにやるもんでしょ。
それを「教えてくれなかった」って、
ひとまかせにもほどがあるだろう。


「指示待ち症候群」という言葉があるけれど、
こういう人は、社会でも使えない部類だと思う。
なんで主体的にものごとに取り組めないんだろう。


すぐに「教えてもらえなかったから出来ませんでした」とか
「指示がなかったのでやりませんでした」とか言うんだよな。
仕事が出来ない人の典型だ。
で、そしてそういうヤツが逃げ込む場所というのは、
労働者の権利が云々とか主張する
左巻きの団体だったりするんだよなー。
カルトと言えば、ああいう集団が一番カルトだと思うぞ。


彼らは労働環境と呼ぶけれど、
環境が悪いのではなくて、
自分の努力が足りないだけです。


仕事の出来るヤツは、ちゃんと正当に評価されてます。
だったら仕事の出来るヤツになれるように頑張ればいい。
「なんであいつだけ」とか思って、足を引っ張るんじゃなくて、
自分が彼より仕事が出来るようになればいいんですよ。


「学会はなにもしれくれなかった」という愚痴は、たとえば
「会社はなにもしてくれなかった」という甘えと一緒ですわ。


そもそも、自分以外のなにかに、
「なにかしてもらおう」ってのが問題なんだ。
これがともすれば「なにかしてもらえて当然」となったり、
「なにかしてもらわなかったから悪い」となったりする。


会社にせよ、学会にせよ、あんなもんはただの箱です。
要は、その環境において、自分が何を考え何が出来るのか。
それしかないと思うんだけどな。
【2008/03/16 20:06 】 | 未分類 | コメント(9) | トラックバック(0) | page top↑
まずはやってみろ
「一度、煩悩まみれになってみろ」と言いたい。
そうすれば、言葉で言い表せないなにかを
つかむことが出来るように思う。


最初から、まずこの世界を肯定し、
思い切り突っ走ってみるべきだ。
そういう経験がなければ、
全ての思想は机上の空論に堕する。
机上の空論に縛られ、頭でっかちになった者は、
大胆な行動を起こすことを躊躇する。
だから最初から、世界のことを、いっそのこと
「常・楽・我・浄」で捉えた方がいい。


失敗を恐れず、欲望のおもむくままに、
やりたいことをやりたいようにやってみろ。
その行動が世界の法則に合致していれば、
きっとそのままうまくいくだろうし、幸せになれる。
もし、世界の法則に合致していなければ、
罰が出て、きっと不幸になることだろう。
それが世界を信じるということである。


もし罰が出て、不幸になったとしたらば、
その行動は間違っていたということだ。
人間は、失敗からこそ学ぶことが出来る。
次はそれをしないようにすればいい。
熱いヤカンに触ったら、次からは注意するでしょう。


まずは「やってみる」ことが大切で、
「やってみる」という行動の源泉は、、
「自分は正しい」という確信だと思う。


まずは仮にでもいいから、
「自分は正しい」という前提を作るのがいい。
そのために宗教というものがあると、僕は思う。
【2008/03/10 20:33 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
いけしゃあしゃあ
「いけしゃあしゃあ」と生きてる方がいい。
そのほうが事を有利に進められるばかりか、
余計なストレスもたまらない。


一番いけないのは、
「生きていてごめんなさい」
というような態度だ。
元気や気力というものは、
こういう態度からは、決して生まれてこない。


大丈夫。
君がどんなに「いけしゃあしゃあ」としてても、
世界にはもっと「いけしゃあしゃあ」としてる人がいる。
言いたいヤツには言わせておきゃいいんだよ。


明日は何度だってくる。
やり直しは何度だって出来る。
「いけしゃあしゃあ」と生きようぜ。


間違いを犯さない人間なんていないんだからさ。
【2008/03/05 20:59 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
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