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いわゆるチベット問題に対して思うこと
本当に大事な視点っていうのは、
「じゃあ今後どうなっていくのか?」
ってことだと思うんだな。


チベット問題をみていて思うのがそういうこと。
つまり「どちらの味方」という見方では甘いんだ。
歴史を学んだ上での思考というのはそういうことでさ。
中国共産党という幕府があって、ではチベットという存在が
幕末の尊皇攘夷のような大義を伴った革命運動たりえるか。
現段階で考えると、チベットにそこまでの大義は無いし、
そこまでの力は無いと、僕は思う。


隣国としては、勝つ方に賭け、荷担するのが、
「国益に叶う」という政治判断となる。
僕は日本に住む日本人であり、
日本の国益に叶うことを正義とする。
正義というのはそういうものでしょう。


中国共産党は、中国における幕府。
それに対して革命を起こそうとするのがチベット。
昨今、実質的には中国共産党は共産主義という攘夷を捨て、
開国に踏み切り、資本主義的経済改革を推し進めた。
それと共に民族同化というような
アメリカ的価値観を正しいものとしている。


漢民族とチベット民族の違いは
幕藩体制時代の日本における藩の気風の違いみたいなもんだ。
薩摩には薩摩の気風があり、長州には長州の気風がある。
チベット人が「チベット人の誇りを!」などと主張して、
クーデターを起こそうとするならば(薩長のやったことは
クーデターであり、それが成功したから正義となった)、
幕府としては全力でその芽を摘もうとする。
当たり前のことだろうよ。
(余談だけれども、薩摩と長州のように
たとえばチベットと台湾が結べるかね?
そういう努力が出来れば、
また戦況は変わってくると思うよ。
俺は不可能だと思っているけど。)


そこでネット上の人権派の活動家が反論する論旨としては、
「チベットでは虐殺があった」っていうけど、
「それっておまえが見てきたのかよ?」と言いたいな。
親中の(というか「親中」が日本の国益に叶うと思っている)僕自身の
思惑は抜きにしても、そこはツッコミどころだと思う。
(中国は今、日本の幕末と同じような状態なんだと思うよ。
日本は佐幕開国が敗れたけれど、もしかしたら
中国は佐幕開国で成功するかもしれない。
佐幕の新選組は「虐殺」いっぱいやってたねw)


チベット亡命政府側は、ネット時代の現代において
情報の使い方が上手だとは思う。
だから、僕ら遠く離れた場所に居る者としては、
「わからない」が正解じゃないかな。
まあもちろん宗教的にダライラマチベットを信じているなら別。
でも、チベット支持者の彼らに、
それだけの「信」すなわち覚悟はないでしょう?


僕が思う、ネット上でのチベット支援論者の言葉が
安っぽく感じ、ちっとも信用に値せず、
僕が行動を起こそうという気にも
させられないのは、その点なんだ。
彼らには「信」が無い。よって覚悟も無い。
あるのは反共産党というアンチ中国の思想だけで、
その思想さえ、誰かから(ネットの世論?)からの
受け売りなんじゃないのか、と思っちゃうわけですよ。


まあいいんだよ。
「私はダライラマを師匠としています。
だから中国に対しては抗議します」
と、言い切れる人がそういう行動をしているならね、
そういう人なら、僕はその人を尊重するし、
尊敬出来るかもしれません。


でも、今ネットで騒いでる人の多くが、そうじゃない。
安全地帯から「フリーチベット!」なんて叫んでる。
なんか違う、と思うんだよなあ。
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【2008/04/13 16:23 】 | 未分類 | コメント(29) | トラックバック(0) | page top↑
俺が思う不思議なこと
学会員個人の不始末は、なぜか
創価学会や池田大作のせいだと言われる
チベットの人の不始末は、なぜか
チベット密教やダライラマのせいとはならない。


これが不思議なんだよ…。


というか、末端のチベットの人が勝手なことをやるように、
学会員は学会員で末端は勝手なことをやっちゃうんだ。
それはしょうがなくね? って思うんだけどな。
【2008/04/06 22:24 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
「○○が正しい」=宗教
「○○が正しい」が大前提となるのが、宗教ってもんだ。
そしてそれを説明するための教義や理屈は後付けなのよ。
その目的は自分または他人に信じさせるためです。
宗教にカテゴライズされるものは、全てこの要素を持ってる。
これは創価学会だって同じだし、他の宗教もみんな同じ。


創価学会は「創価学会が正しい」です。
これがまず大前提としてあり、あとはすべて
これをもっともらしく説明するだけの道具です。


チベットのラマ教(あんなもんの呼び名は「ラマ教」で十分だ)
ってのは「ダライラマが正しい」です。
原始仏教ってのは「釈迦が正しい」。
共産主義ってのは「マルクスが正しい」。
もちろん資本主義ってのは「お金が正しい」です。


で、アンチってのは、
「『創価学会は正しくない』が正しい」
という宗教ですね。
まあだから、学会員とアンチは、話しても埒が明かないのよ。
アンチはアンチという宗教にのめり込んでる。
「学会は正しくない」ということを信じているわけだから、
「学会は正しい」と言う者の言葉は否定してかかるし、
都合の悪い事実には耳を塞ぐわけです。


もちろん学会員だって同じ側面はあるよ、宗教ってそういうもんだから。


それが悪いことじゃないんだな。
そういうもんだと知ってたほうがいいよってこと。
またそこで「これだから宗教は…」って言うヤツは、
自分が「無宗教が正しい」という宗教を信じてることに
気づいてなかったりする。
世の中、宗教でなりたってんだ。


そして、物事を主張するってのは、なにか自分の信じる宗教を
有利にさせるための思惑がこめられてるもんなんだよね。
そうやって言葉の奥にある思惑を読んでいかないと、
彼の思惑に乗せられることとなっちゃう。


最近ネットではダライラマの思惑に乗せられてる人、多そうだな。
と、言ってる俺は中国共産党の思惑を秘めてるかもね(笑)。
【2008/04/02 09:07 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
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