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不況は布教のチャンス(笑)
アンチさんは「もう学会は虫の息」とか言うでしょ?
でも、そうでもないと思うんだなー。


これは中の人だからそう思うんじゃなくて、
客観的にそう思うんですよ。
アンチさんは、ネットでの学会評しか知らないし、
自分に都合の悪い事実には目をふさぐもんで、
わからないと思うのだが、これから不況になると、
宗教団体のニーズがドンドン高まってくるですよ。
これからドンドン不況になると思うんだけどさ。


宗教団体というのは、要は社会での当然の価値観とは違う
斜め上の価値観をサービスするものなのです。
「世の中カネだ」ってのが、資本主義日本の
価値観だったわけで、そういう価値観で行くと、
カネを稼げる勝ち組の人と、稼げない負け組の人が
どうしても出てきちゃうわけだよ。
究極的に考えると資本主義な論理では
「負け組の人は死ね」ってなっちゃうわけ。
だけど「そうじゃないでしょ、違うでしょ」、
と言ってあげるのが宗教団体の役目。
カネ以外の違う価値観を提供してあげるんだな。


まあこれは、出来る人は、ひとりでも出来る。
自分で思索して、自分なりの価値観をゲットすればいい。
だけど、それが出来ない人が大半なわけ。
そこで宗教団体がその価値観をパッケージングして、
「はいこれどうぞ」って売るわけです。


実は、幸せってのは、人それぞれ違うからね。
「カネじゃない」って気づけば、
その人が幸せになる可能性がある。
たとえばその商品の一例としては、
組織の中で忙しく体を動かすこと、も
学会の提供する商品の中に入ってる。


自分を負け組だと責め、自己否定を繰り返し、
ネガティブな思考に取り付かれている人を、
手っ取り早く救うのは、宗教団体の役目です。
で、たぶんこれからの世の中、そういう人が
どんどん増えていくと思うのです。


創価学会はたぶん衰退しませんよ。
客観的に見れば、日本の宗教団体の中では、
ある程度の地位を持ったブランドですし、
よくできた仕組みを持ってますからね。
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【2008/11/17 11:35 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
小室哲哉逮捕は仏罰なんだな
思いもよらなかったけど、
ああ、たしかにありゃ仏罰だわ。
要は浮世離れしちゃいかんってこと。
庶民と触れ合って、庶民の目線をもっていれば、
どんなにカネがあっても浮かれなかったろうし、
おかげさまということを意識できただろうに。
結局は自分を見失った罰だよね。


学会員は、いわゆる組織と関わって、
いろんな人と出会い、つきあって、
そのなかで自分の「分」を知ることが出来る。
それが自前で出来てる人は、特に組織なんて
必要ないのだろうけれど、出来ない人は、
しっかりと組織につくってのもありだな。
要は、まともな人づきあいをしなさいってこと。
「分」を知ることが出来ない人は、
「分」以上の環境と接しなければならなくなったとき、
方向感が見えなくなり、転落し、自滅することが多い。
小室哲哉はどんなにカネを持っていても、
それをちゃんと使う「分」がなかったわけだ。
それにきっと、小室哲哉は孤独だったんだろうな。
調子に乗ってる彼を叱る存在は、なかっただろうし。


彼みたいな人にこそ、宗教が必要なんだと思う。
無宗教を気取った人というのは、いつか道に迷う。
確固とした自分の使命を意識出来ていないから。


まあ、小室哲哉もまだ人生終わったわけじゃないから、
今からでも遅くないので、学会の信心でもはじめたらいい。
身近に学会員の友達がいることだし。
【2008/11/14 07:41 】 | 未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | page top↑
世の中が生きにくいと感じているのは
感情をあらわにしないせいだろうな、多分。
人間だれしも喜怒哀楽を感じるだろうが、
それをちゃんと表現しているか?
溜め込んでいないか?
うれしいときは、喜んではしゃげばいい。
腹が立ったら、怒りをぶつけろ。
悲しいときは、静かに泣けばいい。
楽しかったら、思いっきり笑え。
これらは人間なら当たり前のことなんだ。
だけれども、わかったようなことをいって、
感情の発露を制限しようとするから、おかしくなる。
「謙虚たれ」などと言ってわかったような顔をするけれど、
そんな風に我慢をするたびに、人間らしさから離れていく。


「我慢しないと生きられない」
くらいに思ってる人もいるかもしれない。
でも、そうでもないよ。たぶん、それは錯覚。
我慢せずに感情を発露させ、
それでもみんなに愛されている。
そんな人、身近に思いつくでしょ?
だったら自分がそうなればいいんだ。
そうなれないからといって、理屈を考えたり、
その人をねたんだりするより、
まず、自分がそうなっちゃえばいい。


素直になれば、世の中は生きやすい。
仏とは、決して怒らないとかいうような
非人間的な存在ではなく、
怒りもすれば悲しみもする。
人を傷つけもするし、自らも傷つくこともある。
そんなかわいらしい存在こそが、仏ではないか。
人間が人間らしくいられる以上の価値は存在しない。
だから、仏とは人間そのもののことだと僕は思う。


もっと感情のおもむくままに生きていいんだよ。
そうすることで、自分をとりまく世界だって
変わっていくんだ。
自分を縛っているのは環境なんかじゃなく、
いつだって自分自身。
【2008/11/01 19:44 】 | 未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | page top↑
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