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不満を表現するのが文章ですから
人はどんなときに文章を書くかと言えば、
たいてい不満があったり、割り切れないものがあったりして、
それを自分にわからせるために、
また、他人にわからせるために、文章を書くわけです。
たとえば、たいていの文学というものにおいて、
著者に生まれる創作へのパッションは、
著者がその生活で直面する矛盾から生じるものが多いものです。


だから、ネットにおいて書かれた文章の大部分は、
自分の直面している不満や割り切れないものが表現されています。
どんなものに対しても、問題点を強調した書き方になるだろうし、
そのものの持つ良いところ、美点については黙殺されてしまいがちです。


文章というのは、不満や割り切れないものを
表現するのに適したメディアです。
もちろん文章は、満足や割り切れるものを表現することも出来ますが、
それをわざわざ文章にして訴える意味がどこにあるでしょうか。
そもそもその当人は満足しているわけです。
嬉しいことをことさら訴える人は稀少です。


仮に、世界に存在する全ての文章を集めてきて、
不満を訴えた文章と、満足を訴えた文章の割合を
調べることが出来たとしましょう。
圧倒的に、不満を訴えた文章が多いはずです。


確かにインターネットには創価学会への不満が散見されます。
だけれどもそれは当たり前のことです。
なぜなら創価学会に満足している人は、
その満足をネットでわざわざ表現する必要がないからです。


アンチ創価学会の人たちは、
創価学会がおかしくなっている根拠として、
創価学会への苦情がネットで多く見られることを挙げて、
極悪な教団だと決めつけますが、ネットに表出しない
創価学会に満足している学会員はその何倍も居ることでしょう。
ネットで見える不満者の水面下に、
見えない多数の満足者が居るのです。
そうでなければ、本幹の同時中継に
あんなに人は集まらないでしょうし、
石を投げれば学会員に当たるくらいの会員数にはならないでしょう。


インターネットに不満が散見されるからといって、
創価学会自体が極悪だと決めつけることは一種の詭弁です。
ネットでの訴えは、創価学会全体からみればレアケースでしょう。
創価学会に満足している学会員が大多数であるから、
組織を維持することが可能なのです。
アンチの言うように、本当に社会問題になっているとするならば、
法によって裁かれていることでしょう。
組織としてはコンプライアンスを確保しているように思います。


どんな組織だって、重箱の隅をつつけば、
欠点を見出すことは出来ます。
レアケースを引用し、あたかも創価学会全体がそうであるかのように、
針小棒大に喧伝するアンチの手法に、そろそろ賢明なネットワーカーは
気づかなくてはならないような気がしますよ。


創価学会に対して不満のある人は存在します。
ですが、それはその個人の問題であり、全体の問題ではありません。
問題を持つ個人だけをサンプリングしても、
正確な全体像にはならないのです。
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【2006/02/11 12:18 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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