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「勝ち組」「負け組」でいいと思うのよ
この分野では俺は「勝ち組」、
この分野では俺は「負け組」、
それでいいと思うのよ。
カネをたくさん稼げるやつは、
経済の分野での「勝ち組」だけれど、
教養の分野では「負け組」かもしれない。
逆もあるでしょう。
カネがすべてを尺度じゃないのでしょう。
「カネ儲け大好き」
って人はそれはそれで立派だし、
「カネなんて関係ねーよ。これが好きでやってるんだ」
ってのも立派ですよ。


即物的な幸福の尺度にこだわり、
「勝ち組」「負け組」を煽ってるのは、実は
自分は「負け組」に所属してるんじゃないかと疑い、
卑屈になっている者のように思う。


即物的幸福の他に素晴らしい価値観をもち、
それに自信を持つ人は、他人の評価に紛動されない。
即物的幸福をやっかんでいるから「勝ち組」を意識してしまうのだ。
卑屈な者は、自分が笑われ、馬鹿にされてると思いこむ。
これを自意識過剰と言う。
実際は、本人が思っているほど周囲はその人に興味がない。


自分の価値を決めるのは自分である。
そのままで十分魅力的な自分に気づかずに、
社会を呪い、オカルトに逃避する。
だからいつも不幸だ。
不幸は誰が決めているかといえば、
本人の心が決めている。
自信を持てばいい。


競争は悪いことじゃない。
勝ち負けを決するのも悪いことじゃない。
自分の得意な分野で「勝ち組」になればいい。
仏教がいつから共産党になったのか知らないが、
徒競走でお手々つないでみんなでゴールが仏教じゃない。
脚の速いヤツはその分野で「勝ち組」のヒーローになればいい。
「これが仏教だ!」なんておこがましいことは言えないが、
世をあまねく支配する法、自分を支配する法にしたがって、
自分の使命を感じる場所で活躍できれば、幸福であろう。
精神的幸福をゲットしているその人は「勝ち組」だと思う。
一人ひとりが「俺、勝ち組」って思い込み、
幸福だと思うことが出来れば、
今以上にもっと社会は良くなっていく。


宗教は人を幸福にするための方便であり、道具である。
仏教もその一つに過ぎない。
人を幸せにしない仏教ならば、
そんなものは捨てた方がいいのだ。
卑屈になって現実逃避をして、
アカになってしまうのが仏教なら、
そんなものいらない。
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【2006/03/13 10:02 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
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そうやね~。それぞれ自分の得意なところで勝負したらええやん。
ってか普通なんやけどね。
苦手なとこは、お願い~って人にたよったらええねん。
一人で頑張ったって、自己満足に終わってるだけやん。
周りから見たら、どんくさいとか段取り悪いとか見られてるねんで。
by:三九郎 | URL | #-【2006/03/14 15:58】 [ 編集] | page top↑
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