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やわらか頭になろう
ふと思った。
学会否定論者って、頭のカタイ人たちなんだな。
物事を多面的に見られないというか。
なにか正しい答えが決まっていると思いこんでいて、
答えを出せないままでいると気持ちが落ち着かない人だわ。


答えなんてあるわけないじゃん、ってのが答えだし。
落ち着かないまま生きるしかないじゃん、ってのが答えなんだけどな。
それがいわゆる「空」であり「無常」であるわけなんだけど。


創価学会を否定するくせに、伝統仏教を肯定するなら、
結局、仏教をなにもわかっていない証拠だと思うんだな。


日本の仏教の歴史は、古いものがありがたがられ、
権威とみなされる傾向があったわけだけれど、
古いものほど権威と見なされるという執着から、
離れることが出来てないわけだ。
まあつまり、日本人なんていうのは、偉いとされてる坊さんでさえも、
仏教わかっちゃいないケースが多いわけだが。
そもそも「ここにこう書いてある。だから正しい」というのは、
本来の仏教的姿勢ではないわな。


そもそも、分類すること分析することが「分かる」ということだけど、
仏教の精神が「一」であるのなら「分かる」ことはその精神に反する。
「分かった」時点で、仏教をわかっていないとなる。
よく難信難解といわれるけれど、その通りなんです。


それを無理矢理「分ける」ことで「分かる」ことにしてしまうから、
偏頗な人間になってしまうと思うんだな。
「分からない」ことを知ることが仏教なんですよ。
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【2006/04/09 12:09 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
<<あるがままに | ホーム | 信心が足りないんじゃね?>>
コメント
--将棋の羽生も言ってたけど--
分析と洞察は違うということでしょう。
by:歩 | URL | #NJs7.fVo【2006/04/09 21:32】 [ 編集] | page top↑
--へぇ--
歩さんの教えてくれたとこから、ここ。
http://www2.tokai.or.jp/mm/temari.html


千利休って
「稽古とは一よりならい十を知り十よりかえるもとのその一」
なんて言ってるんですね。


考え方として、「一」という法則から拡散的に展開させる方向性と、
「多」をとらえて法則を導き出す方向性がありますね。
両方の考え方を持つことで、バランスを取ることが出来るし、
ものと縁するときに、より面白く感じられるかもしれないように思います。
by:gizmo | URL | #-【2006/04/11 12:15】 [ 編集] | page top↑
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