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「純」を捨てよう
ああ、やっぱりか、そうだよな。
糸井重里はいつもヒントをくれる。
「ほぼ日」は今、久しぶりに読んでいるのだけれど。


2006-05-01のコラム<黄金週間のむだ話>より


>「純自分」なんていないってことだよね。
>「純喫茶」って、昔あったんだよね、どうでもいいけど。
>純って、だいたいは困った考えだよな。
>純が、悪いことするね、だいだい。
>原理主義とかね、ゆずるってことしないから。
>純愛とか、ねー、間違ってるよね、なんか。
>不純こそ、大事だよ。そう思うよ。


やっぱそうなんだ。
「純」が悪さをしてるんだよな。
僕の感じている違和感というのは、いつもこの「純」なんだ。
誰かから、また、何かから「純」を感じるとき、
僕の中のアンテナが反応して、
「危険だぞ」と僕に伝えるんだな。


だから、僕の発するメッセージは、きっと
「純度を下げろ。もっと汚くなれ。汚くなることに慣れろ」
ということだと思うんだ。
「純」であることをちょっと捨てちゃいましょうよ。
鬱病も、神経症も、内なる「純」が原因じゃないかな。
仏教が教える「捨てる」は、この「純」を捨てるこじゃなかろうか。
「勇気」を持って、「純」を捨てることだ。
思い切って、「純」を捨てることだ。


善悪で言うなら「純」こそが悪だ。
そんな「純」を捨てたときに、人の痛みも、割り切れないことも、
うわべをなぞるだけではなく、感じることが出来るように思うのだ。


小乗は「純」度を高める修行をするのだろう。
それに比して、大乗は「純」度が高くない者のための教えのはずだ。
「純」度が高いと、世間にもまれて生きていくことは出来ない。
だから僕は「純」度の高い人に対して、
方便を尽くして「純度を下げろ」とメッセージを投げる。
「純」度が低いことを恥ずかしいと思うのではなく、むしろ誇りとして、
前を向いて生きることが大乗の生き方と言えるような気がする。
仏教はどこまでいっても抜苦与楽であると思うのだ。


大切に思ってる本のカバーで、犬のうんこを拾えるくらいじゃないとなぁ。
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【2006/05/05 12:07 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
--秘法経典の中に牛の糞手づかみで投げ入れた道元--
四半世紀前、広告関連では糸井や浅葉克己に憧れ、読む本はモチち吉本隆明、

浅田彰なーんて気取ってたな。


最近読んだ糸井の本、というか糸井訳だけど。

「ミッケ」シリーズ。はまる~~~。

そばにいるヤツ、子どもも大人も会話が弾むよ~。がはは。
by:歩 | URL | #NJs7.fVo【2006/05/21 19:38】 [ 編集] | page top↑
--さすが道元--
ちょろっとググってみましたが、
いわゆる新人類の世代でしょうか?


「ミッケ」は確かに楽しそうだなあ。
http://www.1101.com/ispy/2003-04-24.html
この「ミッケ」っていうタイトルを決めた時点で勝ちだなw
by:gizmo | URL | #-【2006/05/22 10:29】 [ 編集] | page top↑
--好きだから、あげる。by 仲畑貴志--
ホーイ、背中にやり貝を背負った新人類でッス。

「あ~っ、あなたのやり貝ミッケ!」がはは。
by:歩 | URL | #NJs7.fVo【2006/05/22 13:22】 [ 編集] | page top↑
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