スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】 | スポンサー広告 | page top↑
人間放棄
俺の中の誰かが叫ぶ。
「創価学会は不誠実な人間ばかりが集まり群れて、
手のつけようのなくなった獣の集団だ」と。
また違う俺の中の誰かは
「そうさ人間は獣なんだ。
獣らしい本能を思い出せ」と囁く。
どちらが天使でどちらが悪魔かなんてわからない。
だけれども、こんな葛藤を放棄して、
どちらかの結論を出したらおしまいだと思う。
獣は悪だと結論を出し、
決めつけ安心する者を俺は軽蔑する。
そういう者こそ人間じゃないと思う。


俺のおじいちゃんは、創価学会を信じていた。
おじいちゃんは合理的判断を下すことが出来た
立派な人だったと俺は尊敬している。
それでも敢えて、娘の選んだ創価学会を選んだ。
この意味はなんだ?


そして彼の孫として僕は生まれた。
僕にとって、誠実な道はなんだろう。
僕の今持っている力で出来ることはなんだろう。
創価学会については、徹底的に調べた。
今や、このネット界隈で誰かが語ることは、
既にどこかで目にしたことであり、
新しい発見による驚きはまったくなくなった。
そして僕は、必ずしもどちらが悪いと
一刀両断出来ることではないと知った。
そこに人間がいるからだ。
僕にとっては、安易な結論を出す者が敵だ。
なんの疑問も抱かずに学会正義に染まる者も、
なんの疑問も抱かずに学会は悪と決めてかかる者も、
「おまえが諸悪の根源だ」くらいに言いたくなる。


僕は僕の中での正義の輪郭を探りながら、
それに従って誠実に生きていくしかないと思う。
「正義は無い」なんていう安易な結論で満足は出来ない。
少なくともあると信じて、敢えて考え続けていきたいと思う。
苦しいのはあたりまえで、そこから逃げれば惰弱になる。
「結論を出せばラクになれるよ」と言われても、
それは人間を放棄せよと言っているのと同じだ。


もがき苦しみながら、のたうちまわって考えながら、
そうやって生きていくことが楽しいし、
うれしいことだと、やっぱり僕は思うんだ。
スポンサーサイト
【2006/05/15 06:39 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
<<「格差」と「改革」って単純につながるか? | ホーム | 嫌な思いをしたなら、まず自分から変われ>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。