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イエと個人と創価学会、要素いろいろ
学会員の家には家訓があるんですよ。
「この御本尊を絶対に守り通すべし」とか
「広宣流布に尽くすべし」とか。
それを守れなかったり、反抗したとすれば、
その家から勘当されるわけです。


信心深い檀家の家で、
「先祖代々の阿弥陀如来像を守り通すべし」とか
「お講の発展に尽くすべし」とか、
そういう家訓と一緒です。
そういう家の子息が、
「俺は家なんて関係ねえ! 学会員になりたい」
って言うと、普通に勘当されるでしょう。


家としては、講にお世話になっているし、
息子が家の方針に従わないとなると、
講の人たちに顔向けできない。
講というコミュニティからすれば、
「親の顔がみたい」ということになる。


子供に家の宗教を辞めると言われて、
親としては、暖かく送り出せるような問題じゃないんですよね。
コミュニティに対するメンツもあるし、
タテマエ上勘当するしかないってのもある。
創価学会って「イエ制度」の文脈で解釈することが出来る。
学会の二世三世問題の構図は、
封建主義と個人主義のコンフリクトでしょう。


さて。
ここからは想像だし、僕が思う仮説で、
自分で組み立てきってはいないんだけど、
日本人はやはり「家族」というものに、
憧れる部分があるんだと思うんですよ。
DNAと言っちゃうと説明を放棄してる感じがしますが、
風土にしみついたものがあるのかもしれない。
そうはいっても、個人主義的「自由」も欲しいのだけど。


もともと日本には三世代同居を前提とした家族制度があって、
戦後、アメリカ的個人主義、民主主義がやってきた。
日本人は、これを運用しやすいように折衷したり妥協したりしながら、
なんとか咀嚼して飲み込んでみた。
歴史的にも、ある外から入ってきた文化を、
咀嚼して飲み込み、運用することが日本人の特性なんじゃないか。
飛鳥の時代、仏教が伝来したときにも同じことをやっているでしょう。


封建的家族制度と、アメリカ的個人主義&民主主義を
ミックスして生まれたのが、戦後の創価学会なんじゃないか。
「文化包丁」とか「文化住宅」とか、
そんな感じの発明だと思うんですよ。
そういや学会の建物は「文化会館」というくらいだしな。
どちらにしても創価学会からは戦後昭和のにおいがするんだよね。


「創価家族」という言葉は、
地方から都市に出て不安で孤独な者にとって
魅力的な響きを持っていたのだろう。
当時、三世代同居が当たり前の価値観を振り切って
都市に出てきたが、家族を求める気持ちを
殺すことは出来なかった人たちにとっての、
家族的コミュニティだったわけだ。
そして世代を重ねてしまったから、
創価学会の宗教が「イエ」の家訓となった。
二世問題ってこれだよな。


なんとなくだけど、結局やっぱり、どんなに逃げようと頑張ったって、
日本人の中に封建主義的なものを求めるDNAがあるんじゃないかな。
「自由」を求めて自分だけは違うと反抗するわけだけれど、
いつか気付くと、やっぱり親と同じことを言っていたりして。


この文章で結論を出そうとも、
オチをつけようとも思ってないんだけど、
なんとなく、昭和的なものへの憧れというか、
ノスタルジーが僕の中にあって、
「イエ」というものを毛嫌いする
行き過ぎた現代の風潮に対して、
またそれを疑おうともしない人たちに対して、
拒否反応が起きているのかもしれない。


子供はひっぱたいて育てるもんだと思うし、
先生は悪いことを教えるために、子供を小突いていいと思う。
子供は風の子で、外で遊んだほうがいいと思うし、
人さらいは昔から居たと思う。
現代ではメディアが発達して、
おかしな事件があれば全国的に報道されるけれど、
「神隠し」は昔からあったよ、きっと。
世に存在するおかしな人の割合って、そんなに変わったんだろうか。
「家で遊びなさい」と言われて育った子供が、
他者とつきあわざるをえない矛盾した社会に出て、
たくましく生きていけるのだろうか。
自分が迷惑をかけられたことばかりを声高に叫び、
人権だなんだかんだと理屈をつけ小利口になって、
それで幸せなんだろうか。


「ごめんなさい、もうしません。家にいれてー」
隣の家から子供が泣き叫ぶ声を聞けば、DVじゃないかと疑われる。
しょうがない。現代ではそういうしつけの手段は使えないよね。
家から締め出すことだって、教育の一つだと思うし、
それはその家の方針だろうと思うんだけどな。


なんというか、とにかく過保護だと思うわけよ。


時代が違うと言われればその通り。
だから僕はただのオヤジであって、
場末の居酒屋でくだまいてるようなもんだ。
でも、寄り添うばかりが愛じゃないと思うわけよ。
タフネスや柔軟さは、どうやったら身に付くのかね。
大人になった今からでも遅くないから、
叩かれた方がいいんじゃないかなんて思っちゃうんだな。


ああ筆にまかせて書いてたら、
グダグダになってしまったw
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【2006/05/28 14:58 】 | 未分類 | コメント(28) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
--ない--
>「先祖代々の阿弥陀如来像を守り通すべし」

これは、ないと思う。一向構わん一向宗やし。
by:三九郎 | URL | #-【2006/05/28 21:59】 [ 編集] | page top↑
--そっかあ--
そっか、ないか^^
大事な仏像を燃やし、暖をとってこそ仏道ですなあw
by:gizmo | URL | #-【2006/05/28 23:20】 [ 編集] | page top↑
--禅=示+単--
禅は単に示しているだけ(単示→示禅→禅)などとも言われます。

墓を守れってのは、自分の存在を肯定し感謝する先祖崇拝の表れでしょうか。家を守れってのは、子孫存続という生物学的本能もあるのでしょうか。

土地柄もあると思いますが、墓は家の裏とか共同墓地とか、お寺にあったにしても供養の仕方は宗派的な手順に則ることでしょうが、どこそこの信者だからダメなんてのは一部を除いては昔も今も緩やかじゃないかな。日蓮系のお寺に念仏でやってくれとか、真言系のお寺でお題目でやってくれという、慣れないことはできないだろうけど。故人を偲んで一唱くらいはする粋な?僧侶はいるでしょうね。法事の時や法話なんかで「なんまんだぶ~」とか「なんみょうほーれんげきょ~」ってのは真面目に出てきますし仏前で唱えるのこともありますよ。決して比較とか揶揄とかおふざけでなくて。


禅宗でも宗教的な何かを護れってのはない。モノは大切にしろとかは厳しき言われますが。宗教的な何かがもともとない、か。いやないようでモノとしてはあるよ。仏壇も本尊もある。

宗教的な何かを護るのは出家者におまかせ、って感じでしょう。在家はもっとフリーキーでアナーキーだと思いますよ。逆を言えば、創価学会は在家宗教だから一般信者もそれを護ろうとする土壌があるのだと思います。


大事な仏像を燃やし暖をとる、のは「自分の」ものであるがゆえに尊い心がけなのだと思います。

人のためであるとか、あるいは自分のいよいよの時のためなら、自分の大事な仏像を燃やしても寒さをしのごう。目の前にありがたい仏像があった時、それは自分の所有するものではなくても自分の大切なものとして、心からお礼を言って生きていくためにその仏像を使わせていただく。というものだと思います。

そして、その仏像とかは灰になってしまうのですが、自分の感謝の気持ちや信仰心はなんら変わらない、ということだと思うのです。


これを、人が大切にしている仏像を自分の勝手都合燃やして暖をとったのでは本末転倒。

理不尽に燃やされ、その上、感謝や供養のそぶりもない。逆に自らの主義主張を正義とふりかざし、おまけに「感謝しろ」という態度をとられる。そのイメージ(かつては現実)が創価学会につきまとっているんだと思います。

私は創価学会に、それに捉われずに社会活動していってほしいと思っています。しかし、このことは今後もかなり長い年月に渡り言われたり思われたりするでしょう。そして、そう思われてしまうだろうことから目を逸らさず対峙していただきたいなと思います。それは、主義主張は違えど明日は我が身というか、今現在の私そのものの姿であるかもしれないわけですから。


最後に、個人的感想として申し上げます。


>大事な仏像を燃やし、暖をとってこそ仏道ですなあw


の最後の「w」は、てれなのか自嘲なのか嘲笑なのかクセなのかお約束なのかわかりませんが、上記のような思いがあるのでたいへん不愉快に感じられました。
by:歩 | URL | #NJs7.fVo【2006/05/29 10:26】 [ 編集] | page top↑
--ごめんなさい--
ごめんなさい。なんの意識もせずにwをつけました。
「自分の大切にしている仏像を燃やして、暖をとるという話を思い出しました」
と修正させてください。
by:gizmo | URL | #-【2006/05/29 10:58】 [ 編集] | page top↑
--親記事に関係なくてゴメンナサイ--
ちょっと頑張って長めの記事を書いたのですが、特に学会員さんが読んでどう思うのかが気になりまして。ていうかどう思うかなぁと思いながら記事書いてまして(笑)。良ければ感想なぞウチでもこちらでもいただけませんか?あつかましいお願いですんません。
gizmoさんからするとそんなに目新しい切り口ではないかもですが。
by:犬のメメ | URL | #-【2006/05/31 23:59】 [ 編集] | page top↑
--呉服屋の反対は薬売りですかね--
メメさんの記事にインスパイアされて、
今、ちょっとした文章を書いていました。
一晩寝かしてから、自分のブログにアップするつもりです。
メメさんの記事に真っ正面から答えるような内容ではないので、
感想とは呼べないかもしれませんが、
きっかけにさせてもらったことは確かです。


ちなみに、僕は富山県の出身ですw
by:gizmo | URL | #-【2006/06/01 00:56】 [ 編集] | page top↑
--メメさんへ--
エントリーでは結論がずれたので、こちらでレスしますね。
あと、メメさんのところを荒らす気はないので…。


確かに「今の世の中では通用しない」でしょう。
「通用する世の中になって欲しいなあ」って
思う僕の個人的な考えは横においておいて、
だから創価学会の評判が悪いのでしょうね。


創価学会の教え自体が
「自らの身は自らの力で守れ」という教えに近いと思うから、
いわゆる弱者を正当化することが出来にくいかもしれません。


また、組織維持の観点からすると、創価学会は
自主規制をして社会的信用を得る方針と
いけいけどんどんの強気な営業する方針とを比べて、
強気な営業をした方が得策と考えているのでしょう。
そして、その手法でなんとか経営出来ちゃってる。
この観点で言うと、評判は悪くなっても、
「世の中で通用」しちゃってるんですよね…。


経営が立ちゆかなくなりそうになれば、
変わらざるを得ないのだろうけれど。
今のところ懐具合はそんなに悪くないんじゃないかな。
それに現在の創価学会で満足する内部の人間が多いんですね。
組織のサービスはすべて、外向きではなく内向きですから、
つまりは「めんどくさい事やる気がない」というのがホンネでしょう。
「あ、そ。」と言われるでしょうけれど…。
まあ、もうちょっとうまくやる方法はあるかもしれないけど、
組織の運営という面では満点ではないにせよ及第点だと、
僕は思っちゃうんだなあ。


創価学会の評判が悪かろうと、大切なのは、
内部の一人ひとりの幸せだと思うんですよね。
個人的には、創価学会に変わって欲しいなんて強くは思わない。
まあ、こんなもんだろうな、って思うんですね。
by:gizmo | URL | #-【2006/06/01 10:44】 [ 編集] | page top↑
--確かにこのコメントがうちに来たら--
ちょっと荒れる可能性あり、ですね。
このあたりの気遣いやバランス感覚はさすがです。
 
で、内容はやっぱ納得は出来ないかな。
特定のソースはないですが問題の「数」においては日本にある宗教法人の中で一番多いのが創価学会でしょ。それなのに組織として対応していないとすれば、それは「世の中で通用している」んではなくて「もっているだけ」でしょう。
退学になっていないから及第点、ではなく「理事長の息子だから退学させたくても出来ない」状態のような・・・。宗教法人ってのは一定の保護を受けますからね。
 
けどいきなりのリクエストに御返事もらいありがとうございます。ちなみに他の学会員さんはどう思うんでしょうね。
by:犬のメメ | URL | #-【2006/06/01 13:50】 [ 編集] | page top↑
--最低…--
今の学会組織の中で、まずまず満足できている内部の人って、狭い世界で生きて自己満足している人だと思います。


つまりは無知ってことかな?
想像力の欠如?
もしくは思考が片目以上つぶって、視野狭窄のの人…
by:ナウシカ | URL | #Eg7g1qX.【2006/06/01 23:32】 [ 編集] | page top↑
--満足かあ。--
満足しきっている人に、
「おいおい、その満足は間違ってるよ、キミ!」
と言ってもまず通じませんよね。。。
まずまずの満足でも、その満足感を
取り除くってのはかなり難しいなあ、と
私は思います。

幸福に浸りきっている人に、
「いんや、その幸福は本当の幸せじゃないんだよ」
なんて言うのもどうかと思うし。
ちょっと違うか^^;。

何に満足するかとか、
何を幸せに思うとかを、
他人がどうこうするのは難しいな、と。

無知と思おうが、想像力欠如と思おうが、
人それぞれの人生なんですよね。

私は、
人がどうこうと他人の思惑に囚われる事無く、
自分の人生を自分の責任において、
強く自由に生きていきたい。
私の南無妙法蓮華経はとても自由で強く
そして美しいものです。
by:photochika | URL | #-【2006/06/02 18:45】 [ 編集] | page top↑
--満足だなあ。--
>photochikaさん


素敵なコメントありがとうございます。
僕も自由で強く美しくありたい。
また、僕に縁した人はみんな、
そうであって欲しいと祈ります。


なんだか幸福に浸りきっていないようにみえる人が多いから、
どこかに押しかけていって売りつけるわけじゃないけれど、
自由で強く美しく生きると、幸福になれるんじゃないかなと
ネットの片隅で、僕はブツブツつぶやいているだけなんですね。


みんなが幸福に過ごしてるなら、僕はなにも言わないし、
もっと言えば、創価学会は無くなっちゃっていいと思います。
by:gizmo | URL | #-【2006/06/02 19:49】 [ 編集] | page top↑
--結局は--
個人の幸福の問題のところで足止めをくらって、宗教的な使命というものは偽ラベルとして貼る程度なんでしょうね。
そういう善意の人たちが(私も含む)いつまでも学会は”正しい”ということを信じて疑わず考えず突っ走って、今のような内部分裂してるような、奥歯に何か挟まってるような、そんな組織になったんでしょうね。

このままで幸福な能天気な人はいいでしょうね。
知らないでいる方が幸福ってこともあるし。
脳内麻薬が人を幸福な気持ちにさせることもあるんだろうなって思います。
by:ナウシカ | URL | #Eg7g1qX.【2006/06/02 21:11】 [ 編集] | page top↑
--組織なんか--
個人の幸福の問題を解決する事が出来る。
これが「宗教の使命」であると私は
考えます。

能天気って、私好きですよ。
私にはとても素敵な言葉です。

闇を嘆くより、
まず自分の目の前に燈を灯すべきだ。
仕事でもプライベートでも、
そう考えて行動をしてしまいます。

生き方、考え方の違いなのかな。
乱暴に言ったら、
私には組織なんかどうだっていいんです^^;。
by:photochika | URL | #-【2006/06/02 23:46】 [ 編集] | page top↑
--末端は--
真面目に取り組んでるんだろうけど、組織なんかどうでもいいと言いながら、不本意にも結果的には、組織の悪いところを助長させ、あらぬ方向へ走らせ、それを維持することに貢献しているんだと思います。
悪循環とは、まさにこのことかと…


この場合、個人の問題と組織の問題とは切り離した方がいいのか?または、それは無理なのか?よくわからないですね。
荒療治が必要なのかも?
by:ナウシカ | URL | #Eg7g1qX.【2006/06/03 00:12】 [ 編集] | page top↑
--創価学会の組織--
学会組織は、結構可塑性に富んでるんですよね。
中心者の個性が、もろに反映されます。
ということは、その気になればいくらでも自分の理想の組織にしていくことができるんですよね。

池田先生も、若い頃学会の組織体質に馴染めなくて、戸田先生に指導を受け、「自分が好きな学会を作れ」と云われて、現在の学会を築いてこられてます。
大枠というか基盤は、まさに池田先生の理想に近い形になってるでしょう。

組織に問題があるとすれば、その組織に関与している一人一人の問題ですよ。
文句があるなら離れるか、変えるかどちらかを選ぶべきでしょうね。

組織とはいっても、結局は一人一人の問題に還元できるということです(^^)
by:にっし~ | URL | #OF4bp5hE【2006/06/03 16:08】 [ 編集] | page top↑
----
なんてコメント書こっかなと悩んでたんですが。
 
にっし~さんはじめまして。
 
>中心者の個性が、もろに反映されます。ということは、その気になればいくらでも自分の理想の組織にしていくことができる
 
と書かれ、
 
>文句があるなら離れるか、変えるかどちらかを選ぶべきでしょうね。組織とはいっても、結局は一人一人の問題に還元できるということです(^^)
 
と結ばれていますが、正直腹が立ちました。(はじめてなのにごめんなさい)

確かに組織は末端の個性より中心者の個性によるところが多い。これは事実でしょう。末端からはあまり組織を変えることは出来ない。私はだからこそ問題改善に組織として動けばいいのにと思います。影響を与えられるのは末端ではなく中心者ですから。
 
gizmoさんやphotochikaさんもそうなのかもわからないのですが、苦しんでいる人がいてもそれは「しょうがない」のでしょうか?

組織活動より自分の信仰、と思うのは理解できるのですがだからといって学会の起してる事わしゃ知らんてのはどうなんでしょう?
 
なんか変な文章やな(泣)
by:犬のメメ | URL | #-【2006/06/03 18:27】 [ 編集] | page top↑
--話してる論点がズレてるんでしょうね--
微妙に見てる視点が違うんでしょうね。
望遠鏡で遠くを見てるか、虫眼鏡で地面を見てるかぐらいの違い。


それぞれは間違ったこと言ってないのに、そうじゃないのよ~というイラダチが生まれてしまう(-_-;)
まっ仕方ないかな…
by:ナウシカ | URL | #Eg7g1qX.【2006/06/03 20:23】 [ 編集] | page top↑
--とりあえず--
今晩は、忙しく、
しばらく多忙なゆえ、とりあえず。。。

ナウシカさん。
おっしゃること理解できます。
文章を理解できる、という事です。

論点がズレているというより、
生き方が違うのでしょう。

視点が微妙に違うのではなく、
モノスゴク違いますね^^。
どっちかイイか悪いかではなく。。。
人生に対しての捉え方が、
宗教なんか関係無く、
はなっから根っこが違うのだと思います。
人生に対する姿勢の違いだけだと
思っています。

だからと言って、
対話が成り立たないなんて思っていません。
差異を理解し合うといういうことだと
私は思っています。

私は組織ありきの人生なんかクソ食らえ、と
思って生きています。
でも、この考えの元で生きていけるのは、
私個人の私だけの人生の責任を取っていると
自覚して生きているからです。

組織なんかクソ食らえ!

ほら、学会員って、やっぱり色々いるんですよ。



by:photochika | URL | #-【2006/06/04 01:03】 [ 編集] | page top↑
--メメさんへ--
みなさまハジメマシテ。こにゃにゃちは。

>組織活動より自分の信仰、と思うのは理解できるのですがだからといって学会の起してる事わしゃ知らんてのはどうなんでしょう?

確かに、学会に多少なりともお布施するわけやし、学会活動して組織を援助してる分けやしね。

自分の力を多少でも貸してるんやで、その力が何に使われてるかをちゃんと把握する責任はありますわな。
by:ナマズ | URL | #-【2006/06/04 06:58】 [ 編集] | page top↑
--確かに--
生き方の違いでしょうね。
個人の問題に特化した生き方か、地域社会、日本ひいては世界を問題にして生きているかの違い。
まぁ~気づいてる人間で何とかしないことには、どうしようもないんでしょうね。
目先の狭い自分の世界しか見えてない人には、当然わからない話ですわ。
by:ナウシカ | URL | #-【2006/06/04 08:31】 [ 編集] | page top↑
--たぶん--
書き方の違いのような気がする。
クローズアップのしかたというか、切り取り方というか。
言葉のあやで「組織なんてどうだっていい」という
内容を言ったりしますけど、
もちろんもっとよくなってくれるならそれがいいと思います。
伸びしろはもっとあると思う
(ほらこの書き方一つとっても、
「伸びしろ」と言うのか「問題の改善」と言うのかが違う。
それはまず否定的にとるか肯定的にとるかの違いだと思う)。


でも、僕自身の出来ることは限られているし、
組織に対してもの申したところで
いろいろな事情があり変えられないところが多い。、
僕は、いろんな視点で創価学会をひっくりかえしながら
アンチの視点でもシンパの視点でもみてみたけれど、
現在の学会の姿勢に対しては、
「こりゃしょうがないよな」というのが僕のホンネです。
あっちを立てるとこっちが立たない。


だったら、自分の出来ることから始めるしかないと思うし、
それが現実的だと僕は思っているのですね。
自分の活躍している場所以外のことを
「こう変わればいい」なんて言うことが、
僕には失礼に思える。
「do your own business」です。


「日本ひいては世界を問題にして生きる」ということは、
多分にイデオロギーに支配されコントロールされる
危うさを持っているような気が僕はしてなりません。
やがてこれが、いわゆる「正義」となるわけです。
本当に自分たちは「気づいている人間」だと言えるのでしょうか?
本当にgizmoやphotochikaさん、にっし~さんは
目先の狭い自分の世界しか見えていないのでしょうか?


僕にはこの姿勢こそが
「レッテル貼って決めつける」
という行為に映るんです。


photochikaさんやにっし~さんは、
どこまでが自分の責任範囲であるか、ということを意識していて、
身の程をわきまえていると解釈出来るのは僕だけなんですかね。
みんな地域社会や天下国家に関する思いが、
無いわけじゃないと思いますよ。
「自分さえよければいい」という、
いわゆる個人主義とは違うと感じるんだけどな。


不幸を嘆いたり、他人を指摘することは簡単ですが、
自分の目の前にあかりを灯し続けることこそ、
強さと覚悟が必要なのだと思うんですよね。
それはシンドイことだけれども、
僕ら一人ひとりがそういう生き方を目指そうよ、
と言いたいのです。
天下国家をわかった風に語るより、
まずは自分からなんじゃないかな、と。
by:gizmo | URL | #-【2006/06/04 10:27】 [ 編集] | page top↑
--クローズアップの仕方--
>どこまでが自分の責任範囲であるか、ということを意識していて、身の程をわきまえていると解釈出来るのは僕だけなんですかね。
 
いや、そりゃわかるんですよ。日本を憂いたって僕個人で出来ることだって限られる。けどあえて言えば問題意識を持てば投票行動で1票は投じられるじゃないですか。
学会の問題に気付いているなら、少しでも問題をなくす方向に意識を向けてもらえればなぁと思うわけで。それは、アンチになれというんじゃなくて、内部にいてこそ幹部の人にだって苦言を呈することも出来るんじゃないかと。
やっぱなんかグダグダや(泣)
by:犬のメメ | URL | #-【2006/06/04 12:14】 [ 編集] | page top↑
--たとえば苦言が有効か?--
心ない幹部に苦言を呈することが、
良い結果に結びつくならやります
(というか、身近に居たら指摘はしてみてますよ)。
でも、たぶん結びつかないと思うんですよ。
彼はいつか自分で気づくしかないと思います。


意思表示が大切というのであれば、
組織の思惑に従わないというのもその一つです。
一人ひとりが、みんな従わなかったら、
組織の方が変わるしかないですもの。
僕は組織の思惑通りに動くことはしませんが、
これが僕の創価学会に対する「一票」です。
そして、誰かが組織の思惑に従うのも同じ「一票」です。


僕は、他人に苦言を呈するよりも、
自分で模範を示すのが近道だと思うし、
彼らの模範になれるように日々努力するのが、
建設的だと思います。
なかなか難しいですけどね(^^;
by:gizmo | URL | #-【2006/06/04 12:33】 [ 編集] | page top↑
----
>彼はいつか自分で気づくしかないと思います

そんな日が来るんでしょうか(トオイメ)

意思表示以降云々はなるほどなるほどです。出来れば声を上げていってほしいと思うのは当事者でない外野としての私の希望ですかね。
by:犬のメメ | URL | #-【2006/06/04 14:20】 [ 編集] | page top↑
----
>にっし~さんはじめまして。

はじめまして。

>gizmoさんやphotochikaさんもそうなのかもわからないのですが、苦しんでいる人がいてもそれは「しょうがない」のでしょうか?

しょうがないとは思ってませんよ。
自分が縁した人は、絶対に幸福にしてみせる!という思いがありますし。
僕が云ってるのは、あくまでも二世問題という一般論の話ですよ。

>組織活動より自分の信仰、と思うのは理解できるのですがだからといって学会の起してる事わしゃ知らんてのはどうなんでしょう?

学会が起こしているというよりは、“学会員である誰か”が起こしていることでしょう。
同じ指導を受けて、問題行動を起こして他人に迷惑をかける人もいれば、そういった迷惑をかけずに信望を集めている人もいます。
その違いは、組織と云うより個人の違いじゃないでしょうかね。

もちろん、僕がお預かりした地域や会員さんに問題があれば、それは間違いなく僕の責任ですよ。
某青いジャケットのグループでは、地域の交通事故や事件なんかは、そこのグループ員の信心のなさが起こしてると指導されてますけどね。
観念的には理解できますが、まだまだ実感にはほど遠いので、仏道修行が足りませんね(^^;

結局何がいいたいかというと、

>僕は、他人に苦言を呈するよりも、
>自分で模範を示すのが近道だと思うし、
>彼らの模範になれるように日々努力するのが、
>建設的だと思います。

ということなんですけどね。

>意思表示以降云々はなるほどなるほどです。出来れば声を上げていってほしいと思うのは当事者でない外野としての私の希望ですかね。

僕は、自分が納得してないことは、声を上げてますよ。
少なくとも、半信半疑程度くらいにしてくれるまで、絡んでますし。
by:にっし~ | URL | #OF4bp5hE【2006/06/04 21:58】 [ 編集] | page top↑
--にっし~さん--
御返事ありがとうございます。
生意気な事言うようですが
>自分が納得してないことは、声を上げてますよ
多くの学会員さんがこう思い行動してくれるとなにやら少しはよくなるんじゃないかと思います。
 
ここから先は堂々巡りになりそうなので、レスを求めるわけではないですが。
>組織と云うより個人の違いじゃないでしょうかね
 
組織が人が集まり出来ている以上、個の問題とすることは間違いではないと思います。ですが組織に大きな影響を与える中心メンバーの個性により問題が起きる場合、これは個の問題にとどまらず、組織の問題として見られてしまうのではないでしょうか?
by:犬のメメ | URL | #-【2006/06/06 12:16】 [ 編集] | page top↑
--創価の金看板--
>犬のメメさん

>ですが組織に大きな影響を与える中心メンバーの個性により問題が起きる場合、これは個の問題にとどまらず、組織の問題として見られてしまうのではないでしょうか?

そのことは否定しません。
僕は、創価教育を受けてる人間ですから、履歴書に“創価”の二字が入ります。
だから、「創価の金看板を背負ってる」という自覚はたいていありますし。
少なくとも、社会での行動規範となります。
社会で問題起こせば、看板に泥を塗る訳ですしね。

ただ、問題を起こす人というのは、往々にして自己中なんですよね。
そして、学会員でなかったとしても、何らかの形で社会とトラブルを起こす可能性の高い傾向のある人だといっても過言ではありません。
看板背負ってるという自覚があれば、規範意識がブレーキをかけるはずですし。

まぁ、学会組織にまったく問題がないとは思ってません。
むしろ問題があるからこそ、成長できるんだと思いますけどね。
もちろん、問題を放置するつもりはありませんが(^^;
by:にっし~ | URL | #OF4bp5hE【2006/06/14 17:51】 [ 編集] | page top↑
--看板の意識、大切よね--
この規範を背負ってるという意識は悪くないと思うんですよね。
「同志に迷惑がかかる」という自分への縛りが、
自分の行動を律することにつながると思う。
「神の名のもとに誓う」というのと同じ効用を持っている。
しかも「神」の位置にくるのが、御本尊(つまり自分)だったり、
同志(つまり家族)だったりするわけだ。
だから、誓いの効力は強いといえば強い、弱いといえば弱い。
この絶妙さが、仏教って感じするんだけどなぁ、僕は。
by:gizmo | URL | #-【2006/06/16 05:44】 [ 編集] | page top↑
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