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ハラスメントへの愚痴
これはもちろん、責任を他に求めることであり、
愚痴に他ならないのだけれども、
僕はきっと現在の社会の方向性が嘆かわしいのだ。
たとえば創価学会というような、
おせっかいの権化のように他に干渉する人たちを、
ハラスメントというような単語によって追いつめ、
さも弱者を守っているような顔ぶりでいる人たちが、
大腕を振って闊歩している。
それが「よいこと」とされることによって、
なにか大切なものが失われているような気がしてならない。
カンでしかないのだけれど。


セクハラでもパワハラでもアカハラでもモラハラでも
かまわないんだけれども、こんな単語の横行によって、
一歩踏み込んだコミュニケーションをしようとする挑戦が
失われていくようなそんな危惧が僕の中にある。
人と人とがつきあっていく中で、
「あ、これはハラスメントになりうる」
と、感づいてしまったら、
もうそこから先に踏み込まないほうが無難だ。
親切のつもりであっても、下手すると訴えられる可能性がある。
これは冷たい人間関係を容認してしまうことにならないか。


人と人との距離感をつかむことは、
トライアルアンドエラーでしか出来得ないと思う。
もちろん出来る人は出来る。それは才能だ。
生まれつきコミュニケーションが上手な人はいる。
そんな人はハラスメントとは無縁でいられる。
だけれども、今その能力を持っていない人は、
失敗しながら成長するしかないのではないか。
それを暖かく見守る土壌が、今の日本にあるだろうか?
この手のことってルールで縛るべきことだろうか。
線を引くことで、本当に僕らは幸せになるのだろうか。


なんとなくだけれども「ひきこもり」の問題も、
このへんに源泉があるような気さえする。
彼らは傷つくことを恐れるだけではなく、
傷つけることを恐れているのではないか。
また、それを告発されることによって
受ける制裁の可能性を恐れているのではないか。
今、彼らは「どうしていいかわからない」
という事態に陥っているのではないか。
たいてい、彼らは優れた思考力を持ち、
合理的に考えることが出来る。
だけれども、他と接することを拒む。
おそらく彼らの中の損得勘定で、
他と接することで失われるかもしれないものと、
他と接することで得られるものが、
つりあっていないのだろう。
他と接することで得られるものが、
たとえば告発されるようなリスクを冒してまで
獲得したいものではないと判断している。


現状、社会はどちらの方向に動いているかといえば、
そのリスクを高める方向に動いているように思う。
ルールを作ったり、ペナルティを高く設定すればするほど、
リスクをとりたがる人はいなくなる。
人と人とがコンフリクトを起こすことの、
損害額(経済的にも社会的にも)が高くなっているように思うんだ。
黙ってひきこもっている方が得なんじゃないかとすら思う。
コミュニケーション能力の低い者は、
練習する機会を与えられなくなっている。
格差というのなら、ここに格差が生まれるんじゃないだろうか。


気づいている人間は、ひきこもる。
図々しい人間は、声高に「傷つけられた」と言う。
どうしたらいいんだろう。
たとえば、僕みたいなバカ者がもっと居ればいいと思う。
人権論者が悪いわけではないけれど、
なんだか比率が増えすぎな気がする。
豪快な人や、乱暴な人、
僕はそんな人になりきれてないけれど、
自分を解放した人がもっと多くなって、
それが世のスタンダードになったほうが、
よっぽどストレスのない社会になるんじゃないか。


なんというか。
もっと許し合うことって出来ないのかね。
もちろん深刻なケースがあることも知った上で。
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【2006/06/11 18:33 】 | 未分類 | コメント(6) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
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私もね、創価学会の組織にももちろん良い点はたくさんあると思うのね。
例えば老若男女が集う座談会。
核家族が基本の今、親類縁者でもない老人と子供が一同に会する場ってほとんどないし、そういう意味でもああいった交流がもっと広まれば子育てももっとしやすくなるだろうし、子供見守りの機能も随分果たせるんじゃないかと思う。
創価がもっと違ったアプローチの仕方で世間に溶け込む努力をしたら、きっともっと世の中は良くなると思うよ。基本的には「良い人」が多いんだし。
だからこそ残念に思ってるんです。
gizmoさんの言いたいことはわかるんだけど、創価はやっぱりやりかたが間違ってると私は思いますね。目的はどうあれ、ふれあいだの人情だのをとっくに踏み越えてかなりの人を傷つけてしまっている、そこをもっと考えてもらいたいと私は思うのです。
それと「ひきこもり」問題ですが。
人を傷つけることを恐れているというよりはやはり自分が傷つけられることを極端に恐れているんじゃないかと私は思うんだけどな。
ヤマアラシのジレンマを思い出します。
「傷ついた」「傷ついた」と声高に言う人ほど自分がだれかを傷つけていることに気付いていない…自戒を込めて…。


なんだかバラバラでとりとめなくなってしまってごめんなさい^^;
by:道楽猫 | URL | #xfWPEvlw【2006/06/12 08:07】 [ 編集] | page top↑
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文章表現力だけではなく、
実際に面と向かっての表現力ですら、
なかなか会得することって難しいと思うんです。
そんな未熟な表現力しか持たない人が、
助けてもらった同志や暖かい座談会を含めた創価学会を、
悪く言われているのを聞いたとき、
どうしても強く言い返したくなったり、
未熟ゆえに全肯定と取られるような表現しか出来なかったり、
全否定と取られるような表現しか出来なかったりするような気がします。
そんな未熟な者が周囲を傷つけているケースが多い気がする。


相手の様子をみながら、主張すべきは主張し、
認めるところは認める姿勢って熟練が必要と思うんです。
だからといって「未熟な者は弘教してはならない」
というわけにはいかないと思うし。
ときには周囲を傷つけることもあるような気がするし、
たぶん大人な方が譲るしかない。
大きく括ってしまうけれど、学会員と非学会員では、
学会員の方が未熟だと思うし、成長過程だと思う。
いや、もちろん大の大人なんだけれども…。


学会員に傷つけられた人は無数に存在するけれど、
かといって、たとえば僕が「ごめんなさい」と言うのは筋違いでしょう。
僕も残念だと思っています。
でも組織として謝るわけにはいかないという事情もわかる。
僕がトップであったとしても、各々の学会員がしたことを、
いちいち謝ることは出来ないと思う。
前向きに考えたとき、組織が出来ることは、
聖教新聞や各種書物でだんだんと中の人の意識を、
変えていくしかないのではないか。
外部からは「池田教」と揶揄されるけれども、
苦汁の選択ではなかろうか。
排他的価値観の象徴である日蓮正宗宗門を叩く構図でしか、
組織は排他的価値観を脱したということを
内部に訴えることは出来ないのではないか。
多くの学会員の手本である池田大作名誉会長は、
学会員が強烈に他宗を攻撃することを望んでいないし、
宗教同士が対立を煽ってはいけないと
言っているようにみえるがどうだろう。


…いや、あんまり考えすぎるのはよくないな^^;
ただ、僕は創価学会が壊れて欲しいとは思っていないし、
「強く生きよう」という主張をする以上、
組織の方針としては「戦え」「自分が変われ」と
言い続けるしかないと思う。
そう言い続けることで、やはりこれからも、
運用を間違えてしまう末端が生まれ続けるし、
人を傷つけていってしまうのだと思う。残念だけれども。
結局僕に出来るのは、祈ることくらいだと思います。


ひきこもりに関しては、
どうやったら傷つく練習をすることが出来るのか
ということを考えなくちゃな、と思うんですよね。
ひきこもってる人に対して、たとえば、
アポを取ろうとしても拒否されるでしょう。
アポなし家庭訪問したとしたら、
それ自体が嫌がらせと取られてしまうかもしれない。
ひきこもりの人は不幸だと、僕は勝手に思っているけれど、
「もしかしたら幸せなのかもしれない」と考えることが、
本当に正しいのかな?
無理矢理にでも、嫌がられても、
突破口を開いてあげられるのは、
おせっかいな他人なんじゃないかな、なんて思うんだ…。
僕も含めて、干渉すると損をすると思っているので、
干渉しないようにしてる。
それって、本当に正しいのかな…。
まあ、バランスなんだろうけれど…。


思ったことを書いたんですけど、俺、また論点ずらしましたかね?
そう思われたんだったら、ごめんなさい。
by:gizmo | URL | #-【2006/06/12 18:28】 [ 編集] | page top↑
--いや--
論点ずらしてるとは思いませんよ。
学会びいきのgizmoさんらしい意見だなと思います。賛同はやっぱり出来ないけど(笑)。
組織を維持するためには「仕方ない」「これしか方法がない」「苦渋の選択」ではやっぱいけないんじゃないかなーと私は思うので。
何よりまず組織ありき、がそもそも学会の一番間違ってる部分だと私は感じてます。
組織よりもまず内部外部含めて一人一人を最大限に尊敬し尊重する、その地道な繰り返しこそが結局学会の好感度をアップさせ、それがひいては組織を守る最善の方法になるんじゃないかなぁ。相手を尊重して柔らかく接することを全て「摂受」だと言って切り捨てるのは、やはり何か間違ってると私は思うのです。学会員は何より「自分たちの信じるものが最高」という考えから無意識に生ずる優越感を自覚し、「宗教に無智」な相手を下に見がちな自分たちの傾向性を真摯に反省すべきだと思います。
「戦う」「勝利」以外の言葉でもっと素朴に学会の良さを引き出して周囲も自分たちも笑顔になれる方法がきっとあると私は思っています。
あああ、私のほうが論点ずれまくりっすかね(笑) 。
あと、ヒキコモリですが、私も一時ひきこもってたのでなんとなくそういう人の気持ちはわかるんだけど、ひきこもってる人にお節介に関わるのはやはりお節介以外の何物でもないと私は思うんです。そういうのって却って本人を惨めな気持ちにさせてしまうし、結局お節介した側の自己満足に終わってしまいがちではないかなぁ。
私は「だれでも何度でも生まれ変わったように生きていける」と信じてます。
肝心なのは相手を信じること。きれい事かもしれないけれど私は母親がどこまでも私を信じてくれたのでヒキコモリを脱することができたのだと今でも思ってます。


長文になってしまってごめんなさい。
by:道楽猫 | URL | #xfWPEvlw【2006/06/12 22:54】 [ 編集] | page top↑
----
>何よりまず組織ありき、がそもそも学会の
>一番間違ってる部分だと私は感じてます。


もしも本当に創価学会が「まず組織ありき」であるのなら、
創価学会は間違ってると思います。
たとえば僕が「まず組織ありき」だとは思っていませんが、
組織から迫害を受けているわけではないし、
「活動するもしないも自由だ」と僕は解釈しています。
でも、もちろん「まず組織ありき」と思っている学会員もいます。
それは彼が自分で選んだことです。…違うかなぁ?


>組織よりもまず内部外部含めて一人一人を最大限に
>尊敬し尊重する、その地道な繰り返しこそが結局学会の
>好感度をアップさせ、それがひいては組織を守る
>最善の方法になるんじゃないかなぁ。


これは僕もそう思います。
学会員であろうとなかろうと、
一人ひとりがそうありたいですよね。
世に生きるすべての人が、他の人間を尊敬出来れば、
きっとそれが広宣流布だと僕は思います。
僕もそうありたいです。
でもたとえば、煽られたら煽りかえしちゃうんですよね…。
僕も十界互具の凡夫です。


http://blog.goo.ne.jp/gizmo2006/e/380621e3cf2748e32262335d51a89d9e
池田名誉会長もこんな風に言ってます(笑)。
たまたま今日はこんな言葉でした。


>「自分たちの信じるものが最高」という考えから
>無意識に生ずる優越感を自覚し


「優越感」というとマイナスイメージですが、
「誇り」「自信」というとプラスイメージになりますね。
自信は思い切った行動をとる勇気につながるし、
誇りは自分の行動を律することにつながるように思います。
それらの源泉は「自分たちの信じるものが最高」というところでしょう。
でも一歩間違うとすぐに「優越感」になってしまう危うさがある。
これについては、組織は、「優越感」なってはいけないよ」と、
呼びかけることくらいしか出来ない、
というのも、運用はすべて個人にまかされていると思うんです。
たとえばルール化して賞罰を設定するのも、
やっぱりなにか違うと思うし…。
一人ひとりの心がけで、一人ひとりが
自分をコントロールするしかないと思うんです。


>「宗教に無智」な相手を下に見がちな自分たちの傾向性


たとえば僕はいろんな宗教を調べたし、
実際に念仏唱えたり、座禅組んだりしましたけどね。
やっぱり二世ですから、正直しっくりはこないんですよ。
自分で使うなら、題目が一番使いやすい。
また哲学的にも、癒しであろうがなんだろうが、
他力におまかせする哲学はいまいち肌に合わない。
僕の持論では、だからきっと、
それぞれが自由に自分に合う宗教を、
「俺の宗教は最高」
って思っていればいいんじゃないかな、なんて考えてます。
それで彼が強くなれたり行動出来たりするなら、それが一番だもの。
宗教はすべて方便だと僕は思っているのです。
たとえば南無阿弥陀仏を唱えながらであっても、
力強い生き方をしている人は尊敬出来ます。
僕がアンチの時代からずっと主張していることですけれども、
学会員は平気で心から念仏が唱えられるべきだ、くらいに思っています。
それが他宗を見下さないという態度なはずです。


>そういうのって却って本人を惨めな気持ちにさせてしまうし、
>結局お節介した側の自己満足に終わってしまいがちではないかなぁ。


ドライに言ってしまうと、接触のしかた次第じゃないかなぁ。
全部が全部「お節介」というわけではないと思う。
でもまあ、接触の仕方って難しいと思うんですよ。
「いつでも待ってるからね」的な(いや、組織に呼び戻すのではなく)、
態度でいるというか、信じ続けることが出来れば、
よかったりするかもしれない。
もちろん、たとえば言葉にした瞬間に、
うざったいと思われるかもしれない。
ケースによりますよね…。


>「だれでも何度でも生まれ変わったように生きていける」


いいですね。
僕も信じます。
もし僕がどん底に堕ちたとしても、
胸に抱いていたいと思います。
by:gizmo | URL | #-【2006/06/13 16:25】 [ 編集] | page top↑
--うう--
いっぱい反論書いたけど、これ以上はなんだかgizmoさんちの良い雰囲気を壊してしまいそうなのでやっぱり自粛します。
殴りこみかけるのは本意じゃないので^^;;
自論は自分ちで展開することにします。
やっぱ本気で噛み付けず甘噛みしかできそうにないヘタレです(笑) 。
真摯に応えてくださってありがとね。
by:道楽猫 | URL | #xfWPEvlw【2006/06/14 09:48】 [ 編集] | page top↑
--ごめんね--
お気遣いさせてしまって申し訳ないです。
ごめんなさいね。
道楽猫さんの思いは、理解出来るような気がします。
噛み付かれたとは思ってなかったのですが、
噛み合った話が出来たので(笑)、うれしかったです。
ありがとうございました。
by:gizmo | URL | #-【2006/06/14 10:49】 [ 編集] | page top↑
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