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自力門と他力門
三九郎さんのところにコメントしようと思うと
いつも字数制限にひっかかる(笑)。
三九郎さんとこが炎上しない秘訣はここにもあるんだよな。
くやしかったので、エントリしてトラックバックを打っちゃお。


それこそ言葉で書き表せないし見方次第なんですけど、
実は、自力と他力って線が引けないと思ってるんですよね。
僕は方便として自分自分と協調しますけど、
どこからが自分? って問いを立てると、明確な線はないんですよ。


方便=手法、手段、入り口


というような感じの意味ですから、
他力から入っても、自力から入っても、きっと目指す点は一緒だし、
自力の考え方でも、他力の考え方でも、
その本人が上手に使えればOKだと思っています。
ちなみに僕は自力から入るほうがドラマチックで好きです。


宗教団体というものは、一つの考え方をマニュアルと実践でもって、
一人ひとりの信者に示し続けなければならないわけで、
だからこそ方便として「真実」や「絶対正義」を
打ち出すわけなんだけどなあ。
でも、方便を方便と明かしてしまって、
効果が薄れるものもあるんだわ。
だから、インターネットの書き込みを見ると不幸になる
(と、こういう風に言うのも方便なんですが)。


また、手段と目的はときに線引き出来ないものなんですよ。
生きることは活動することですから、なにかのための活動が、
活動のための活動になっていることだってある。
生きていることだって同じですからね。
生きることって意味ないじゃん、というのも真実ではある。


でも、せっかく生をうけたんだから、
胸を張って生き生きと行きたいじゃん、
背中を丸めてしょんぼり生きていたくないじゃん、
って思うだけの話なんですよね。
僕にとっては、そのための方便であり、そのための宗教です。
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【2006/09/10 11:09 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(1) | page top↑
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コメント
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うちは、炎上する要素ないでしょ? 脱力系やし。
字数制限は長い文章を読みきれない僕には便利です。

自力、他力って自然とミックスされてるよな。
自力で企画書しあげても、提出するタイミングは他力、
みたいな。
by:三九郎 | URL | #-【2006/09/11 09:42】 [ 編集] | page top↑
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哲学
石原慎太郎が毎週産経新聞に書いてるコラム。好きなんでよく見るんやけど。彼も法華経の熱心な信者なんよね。こないだ、書いてたのは、法華経が他と違って特殊なのは、「これをするな、あれをしろ」ってな、戒律的なことはなくって、時間や存在とかを感じ考えるた.... S-STYLE【2006/09/11 09:44】
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