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おじいちゃん
朝、勤行をしていて、ふと思い出した。


僕が小さいころ、
まだイナカにおじいちゃんが住んでいて、
長い休みに家族で遊びにいったときのこと。
朝、起きると、おじいちゃんやおかあさんが、
仏間で勤行している声が聞こえてきたものだ。
イナカの朝の冷たい空気の中で、
僕は御本尊に向かって座るわけではなく、
こたつに入ったりしながら、
5座分の長い勤行を聴いていた。
僕は小さかったから、ふつうに
「勤行が終わるまで相手してもらえないな。早くおわらないかなぁ」
って思ってたと思う。


勤行が終わってやっと、
おじいちゃんがかまってくれて、
うれしかったりしたんだよな。


いや、なにか言いたいことがあるわけじゃないんだ。
幼い頃から題目が身に染みているというのは、こういうことでさ。
ふとした瞬間に、家族がしていたことを思い出すわけだよ。
それを否定するのか、しないのか。
それは本人の自由だけれども、
なにもムキになって否定することもないんじゃないかな、
って僕は思っちゃったんだ。


思い出は思い出として、自分の家の信仰として、
大切にしたっていいんじゃないかなぁ。


俺がたとえば創価学会の矛盾をみつけて、
鬼の首を取ったようにそれを攻撃したって、
死んだおじいちゃんは、きっと喜ばないよな。


俺がおだやかに、人にやさしく、生きていられたら、
そして、自分の道をしっかり歩いていれば、
それでおじいちゃんはほめてくれるんだろうなぁ、なんて思う。
それでいいんじゃないかなぁ。
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【2005/10/26 08:37 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
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がおだやかに、人にやさしく、生きていられたら、
そして、自分の道をしっかり歩いていれば・・・
私もそうありたいと思いますね。
by: | URL | #SFo5/nok【2005/10/27 21:32】 [ 編集] | page top↑
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