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『ななつのこ』感想
ハードディスクの整理をしていて、
ボツにした文章をチェックしてたんだが、
こんなもんが見つかったのでアップしてみる。
加納朋子『ななつのこ』の感想文です。
青い文字は本文の引用です。
随分前に書いたものなので、
きっと賞味期限切れだが(笑)。



 私は思うのですが、人の世というものはまるで、暗闇のビリヤードのようなものではありませんか?
 皆がてんでにキューを持ち、目の前の玉を無造作に突き動かします。くるくる、くるくると玉は回転し、他の玉にぶつかり、跳ね返り、また別の玉を突き動かし……。
 そしてくるくる、くるくる回転し続け……。やがてはそれと気づかないうちに、自分自身の運命すら、突き動かしているのかもしれないのです。



ある行為や言葉から悪意を感じることがある。
でもその悪意は、本当に最初から悪意だったのかな。
最初は、もしかしたら善意のつもりだったのかもしれない。
狙った玉に当たらなかったり、
不用意に突いた玉が跳ね返って予想外の玉にぶつかったり…。
どこかの玉に当たらないようにするために、
やむをえずそちらにしか突けなかったり…。


誰かの悪意で人は傷つくのだけれど、
その誰かのそれをしなければならなかったり、
それをしないではいられなかった心情を、
想像してあげられないものだろうか。



 今の私を知っている人は、きっと誰も信用しないに違いないが、昔の私は、本当におとなしく内向的な子供だったのだ。
 いつも本ばかり読んでいた。でなければ、文字通り夢みたいなことばかり空想していた。何年生のときだったか、保健体育の教科書の中で、それらの行為が<逃避>という冷ややかな言葉でかたづけられていることを知り、私は深く傷ついた。



心理学の用語って、僕も苦手。
ひとことでは語りきれない心を、
一つの単語でバッサリとカテゴライズする。
やれ<投影>だ、やれ<合理化>だ。
そんな単語から、僕は物知り顔の意地悪さを感じる。
「あなた知らないの? それ<投影>っていうのよ」
そんな上からみおろす冷酷な響きを持っていると思う。
僕は文系人間だから、なおのことそう思うのかもしれないけれど。


そんなに冷たく分析して、なにが楽しいのだろうと思う。
人生や人の心はそんなもので、
はかれないと信じていてもいいんじゃないか。
わからないからこそ、割り切れないからこそ、
人ってやさしくなれるんじゃないのかな。


想像の余地、空想の余地を失ったとき、
人って希望を失ってしまうような気がする。
わからないことはわからないままにそっとしておくやさしさが欲しい。
秘密を暴きたがる者と、秘密を守りたがる者。
僕は「親切な秘密主義者」に共感出来る。
人はみんな、他人のみていないところでよかれと思うことをしている。
そんな風に人間を信じていきたいと思うんだ。


いや、違うな。
わからないことをわからないままにそっとしておくのではなく、
わからないことをわかったとしても、
そっとしておくやさしさを身につけたいと思う。


人生という推理小説を生きている僕らは、
等身大で生きていくなかで自分にまつわる謎の
答えを探すのが面白いのではないか。
「犯人はヤツだ!」
そんな指摘をしてもなんだかむなしくなってしまうんだ。
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【2006/12/07 18:47 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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