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師弟について思うこと
学会上層幹部の政治や思惑はどうでもいいんだが、
学会員の一人として、良心的に日蓮を解釈すれば、
「日蓮のように生きる」ってことが師弟なんだろう。


今、聖教新聞で師弟師弟と強調してるのは、
「師弟」という概念というかモデルについて、
学会員一人ひとりが考えなさいというメッセージが
含まれてると思うんだな。


そんな風に考えることが出来ない人には、
学会は「手っ取り早く池田氏を師匠としておけば?」って
オススメしてるだけだと思う。
師匠を持つ機会は、庶民にとってはなかなかないことだから、
「池田氏を師匠とする生き方モデル」を、
学会が提供してるだけなんだな。
池田氏の生き方には、日蓮の振る舞いのエッセンスがあるからね。


誰を師匠として選ぶかは個人の自由です。
その上で多くの学会員は池田氏を師匠と決めているわけで。
自らの責任で、他の人を師匠と決めたっていいと思うよ。
要は「誰のように生きるか」ということを決めることです。


師匠がいるってのは幸せなことだからね。
これは本当に思う。お手本であり「真似る対象」ですから。


「池田氏はどうでもいいや、私の師匠は日蓮だけ」
ってな学会員だって存在してるし、それを学会は許してる。
組織内部で仲良しごっこをやりたいと思わないなら、
無理に池田門下を意識しなくてもいいと思うよ。
そのへんは自由よね。


南無妙法蓮華経は遍く存在してるわけですから。
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【2006/12/12 09:03 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
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>無理に池田門下を意識しなくてもいいと思うよ。
>そのへんは自由よね。

まぁ、確かにそうなんですが、学会活動に励んでいれば、自然に池田門下を意識せざるを得ないと思いますけどね(苦笑)

僕の場合は、学園に入学するまでは、「人間革命」の著者でしかありませんでした。
学園時代に「人間・池田大作」を知り、門下であることを自覚したのは、学生部で折伏を始めとする学会活動に本格的に取り組んでからですね。
by:にっし~ | URL | #OF4bp5hE【2006/12/12 14:39】 [ 編集] | page top↑
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