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リタニンなんて麻薬だと思ってたよ
http://www.asahi.com/life/update/0920/TKY200709200362.html


鬱病の治療にクスリを使うということが、そもそも、
ものすごく特殊なことだと思うんだけれども、
最近は素人でさえ「ちゃんとクスリを飲んで休んで」なんて
言うようになってしまうくらいに敷居が低くなっている。


なんかね。
それはどうよって思うわけよ。


脳内の分泌物をクスリを使っていじり
気分をコントロールしようってんだから、
危ないクスリに決まってる。
「鬱病にはリタニンを」というのが常識みたいになってるけど、
これって、製薬会社や医者の思惑がからんでない?
もっと言えばアメリカの思惑がからんでない?


アメリカ人はなんでもクスリでなんとかしようとする。
その習慣が日本に流れ込んできて、一般化してる。
たとえばサプリメントにしても僕は懐疑的だ。
化学的に「それだけ」を取り出した人工物は、
人間の心身に良いわけがない。


脳内の分泌物を出すも出さないも、
努力でなんとかなると思う。
というよりも、もっと自分自身の心に耳をすまし、
人間の本能を信じるべきだ。
自分の気分を盛り上げるのも、落ち込ませるのも、
自分の心がけ次第であり、意識の持ちようである。


安易に外的な助けに頼れば依存症になる。
言葉を理解し、論理的に考える能力を持っているのならば、
徹底的にリサーチし考え、手を打つことで鬱は治せる。
今の自分に足りないものは何か。
その足りないものを補うにはどうすればよいか。
具体的な対処策が出るまで考え、それを着実にこなせばいい。


少なくとも、この文章を読んでいる人は、
インターネットを使える能力を持ってる。
そのくらいの能力を持っているのならば、
解決法が思いつかないわけがない。


どうしたらいいかわからないのなら、考えることが足りない。
わかっているけどできないのなら、意志が足りない。
だからきっと、鬱を自称する人は、
「鬱でいる自分が好きなんだろうな」
と僕なんかは思ってしまうわけだ。
タバコと一緒だ。


鬱を治したいと思う意志が強ければ、
クスリなんかに頼ることなく、治すことが出来る。
要は、治したいと思うか、思わないか、だ。


魚拓:
http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/life/update/0920/TKY200709200362.html&date=20070921100838
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【2007/09/21 10:19 】 | 未分類 | コメント(9) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
--こんばんは--
  gizmoさん、こんばんは。
今回の記事を拝見し、元欝患者として、是と非がありました。

  まず、gizmoさんのご意見、私の父の考えと一緒です。(笑)
父は、自力だけで無宗教で来た人で、そういう父見て育ったので、今回の記事から感じる、「欝になる人は意思が弱い。結局自分自身しかないんだ。」とおっしゃっている事、理解出来ます。
実際私自身、完治し振り返ってみて、改めて自分は甘えていなかったか、意思が弱かったのではなかったか、逃げる事を考えていなかった・・・かを、痛感しましたから。
でもね、それを患者さんに押し付ける気はないし、あってはならないと思っています。
自分で気づくしかないんです。
押し付けた結果、中には命落とす方出ても不思議では無いですしね。


  >【脳内の分泌物を出すも出さないも、
努力でなんとかなると思う。
というよりも、もっと自分自身の心に耳をすまし、 人間の本能を信じるべきだ。
自分の気分を盛り上げるのも、落ち込ませるのも、 自分の心がけ次第であり、意識の持ちようである。 】

>【どうしたらいいかわからないのなら、考えることが足りない。 わかっているけどできないのなら、意志が足りない。】

>【鬱を治したいと思う意志が強ければ、
クスリなんかに頼ることなく、治すことが出来る。 要は、治したいと思うか、思わないか、だ。 】

↑のご意見なのですが、患者自身分かってても、そう出来ないのがこの病です。
体に変調もきたします。
私自身、心療内科を初めて受診し、お薬を飲み、体がましになった時、なぜもっと早く来なかったのだろうと思いました。
心身共にだめになる病なので、体が少しでも楽になるだけでも、結構違うんです。
(もちろん、副作用は当然あります。)
私はそのお蔭で、必ずいつか治そうって思ったんです。
そう思ったから、「患者同士で励ましあうのはいいけれど、傷のなめあい=もたれあいにはなりたくない。」と思ってました。
そういう姿を実際に見て、私はもたれあいの世界にはいたくないと、思ったんです。
自分達を哀れんでるだけでは、何も変わらないからです。
薬にも依存はしたくなくて、徐々に減らしていました。

だけどね、そうすると、自分の頭の中には、欝のせいでの消耗感&でも治したい・・・という二つの異質なものが存在するようになって、かなり消耗するんです。

だから私は、信仰という力を借りてだけど、完治した後に、【欝になる前となっている時とでは、こんなに心身の状態が違うのか。】と、愕然としました。

  gizmoさんのおっしゃる通り、なるべくならお薬は飲まないで済むのに越したことはありません。
その一方で、受診しない事で、苦しさのあまり、命を絶つ方がいるとも思います。
実際通院しても、自殺なさった方いらっしゃいました。
  【治したいと思える時まで、悪化しないために】通院&お薬を、賢く使う事は、私には否定は出来ません。

  父を見てても思いますが、gizmoさんには意思の強さ、おありだと思います。
その意味では、私には意思の強さが足りませんでした。
今、過去を振り返ると、そう思います。^^
だけど、欝になれてよかったと思っています。
患者の苦しさを体験出来、飴と鞭の使い分けの必要さを、知りえ得たからです。


  だから今回のgizmoさんの記事には、元欝患者として、是と非の両方があります。

by:風凛 | URL | #kVP5JqGo【2007/09/22 00:55】 [ 編集] | page top↑
--借りてなんかいないよ。--
風凛さん、こんばんは。
素晴らしい体験をされましたね。
「信仰の力を借りた」って違うよ。
あなたの力で病を克服できたんですもの。
とても強く強く、勇気をいただきました。
ありがとう。

gozmoさん、
病気なんだもの、薬飲んで治さないと。
風邪だってさ、治療しないで放っておくと、
気管支炎とかになって生命にかかわるよ。
放っておいて寝てるだけで治る風邪だって
もちろんある。
鬱はれっきとした病気だもの、
投薬で治すの当たり前のことですよ。
「リタニン」に関しては、
薬の別問題だと思うよ。
by:photochika | URL | #-【2007/09/22 02:26】 [ 編集] | page top↑
--photochikaさん。--
  photochikaさん、ありがとう。
もう、ありがたくてありがたくて、仕方が無いです。
頭や目に、だけじゃなく、体全体にかかっていた膜のようなものが、全てなくなっていました。
感覚が全て戻っただけじゃなく、体験を積まれている方ならお分かりだと思うのですが、プラスαのものが、必ずありました。
今回は、プラスαでとても大きなものを、頂きました。
学会に対して私自身がいつの間にか、「分かった”つもり”になっていた」事にも気づかされましたし、信心への確信はありましたが、今回の事で学会に対してきっちりと、確信持つ事出来ました。
今はもう、余計なものが一切ないので、まっすぐ行くだけです。
すでに、次の課題もあり、次の波来ると思うので、それに備えています。
【この信心をしていると、3年、5年、7年周期で来る】とお聞きする事もあります。
こじつけととる方いらっしゃるかもしれませんが、一つの目安になると感じています。
私自身、大きな波が来た過去を振り返ると、↑の節目にはやっぱり、言葉では書けない位苦しい時期が必ずありましたから。
次の7年までもう3年を切りました。
どんな事が待っているのか、今からわくわくしています。
今年は亡き、母方の祖母が学会に入会してから49年目にあたります。
祖母=信心の種を蒔いてくれた人でした。

  今回私は、いかに自分がこの3年間停滞していたのかを、痛感させられました。
考え込む時間はたくさん頂きました。
目に力も戻りました。
ネットでも言葉が武器だと言う事、場合によってはその武器を使い適度にあしらう事も必要だと言う事等、学ばせて頂けました。
相手をバッサリ斬る必要のある時はです。

  photochikaさん。
私、欝になって、ほんとによかったです。^^
来年を控え、出来るなら今年中にけりをつけないといけませんでした。
今は、同志の中にも欝の方がいますので、この事を活かしていこうと思っています。

photochikaさんの体験にも、励ましてもらいました。
ありがとうございます。m(__)m
by:風凛 | URL | #kVP5JqGo【2007/09/22 06:36】 [ 編集] | page top↑
----
>風凛さん


意志の強さというのもそうなんですけど、
どちらかといえば、状況をしっかり認識して、
それに対して具体的に手を打つこと、
それがどんな人であっても、
出来ないわけがないと思うんですよ。
痴呆というのならわかるけれど、
鬱はそうではなく考える力があるわけです。


考える力のある者は、原因を探ることが出来る。
だとするのならば、今、自分が鬱病になっている
原因はなにかということを明確にすること、
そして原因を取り除くなりして解決すること、
これが出来るはずだと思う。


と、こんなことを言えば、心身が健康な
強者の意見だと言われる。
僕が嫌いなのは、鬱病を理由にして
なんでも許してもらおうとする根性です。
「鬱病だからしかたない」というのなら、
しかるべき場所でしかるべき処置をしてもらうべきであり、
厳しい言論の世界であるネットで戯言を言って欲しくない。
というか、論理を戦わせ思考実験する場所で、
ウェットなことを持ち込むと遠慮が生まれる。


「鬱病の人に『頑張れ』と言っちゃいけないのは
精神医療の現場では当たり前のことです」
なんて物知り顔で言われるとムカッとします。
なんでそんなに権威の言うがままに信じてしまうのか。
「それはどうかな?」と一度でも考えたことがあるのか。


それではネットのこの場所がもったいないと思うんだな。
ウェットなことはフェイストゥフェイスのリアルでやれ、って思う。
僕の、ずっと前から今でも同じ主旨は「考えろ」ということです。
「果たして自分は考えているか?」そういう自問を
常に持ち続けること、病気であろうがなかろうが、
それを捨て去れば、人間失格であるくらいに思います。
少なくともその能力を持っているのならばね。


>photochikaさん


鬱の難しいところは、「鬱な気分」まで病気に
認定されてしまうことがあるところじゃないかと思うんです。
病気というのは時代によって認定のされかたが
変わってくるけれど、こと鬱病に関しては、現在
病気と認定されるラインが低い気がする。
環境が自分の思い通りじゃないというだけで、
すぐに精神科に行こうとするのはどうよ、と思う。
医療関係者は、「あなたも鬱かもしれません」
なんて甘い言葉で挫折を誘っていると言えまいか。
先人はもっと苦しい環境を乗り越えてきたよ。


ギリギリまで、自分の力で戦うべきだと僕は思ってます。
薬を全否定はしませんが、人間の知恵をもっと信じたい。
薬が必要な人は服用するべきだけれども、
不要な人まで服用するべきではない。
自分で考え、その判断をした上で服用するのなら、
それはそれでやはり自己責任なのだと思います。


ただ、「クスリって危ないぜ」ということを
言っている人が皆無になってしまっては、
場として健全じゃないかな、とも思いますね。
by:gizmo | URL | #-【2007/09/22 06:55】 [ 編集] | page top↑
----
  gizmoさん、おはようございます。
パソコン電源落とす前に、レスがある拝見して、はや!と思いました。
ありがとうございます。


  >痴呆というのならわかるけれど、
鬱はそうではなく考える力があるわけです。
考える力のある者は、原因を探ることが出来る。
だとするのならば、今、自分が鬱病になっている原因はなにかということを明確にすること、そして原因を取り除くなりして解決すること、これが出来るはずだと思う。


● 痴呆ねえ。(苦笑)
なってみて感じたのは、人間に本来備わっている考えようとする力が、発揮されないということかな。
言葉悪いと、自分を追い詰めるまで考え抜いても、消耗する方が多かったですね。
そして、原因を取り除き解決する・・・という事ですが、すんなりいかない事もあります。
私の場合は、結婚してから発症しました。
医師から言われたのは、「環境を変えるしかないね。でも、離婚を勧める訳にはいかないからね。」と言う言葉。
一応、自分なりに変える努力したけれど、相手が暴力振るうのは相手の意思の改善での協力を仰がないといけない面もあります。
暴力は、相手の性格と、私の信仰が起点なんですが。
変える努力=関わる全ての方の人生を変えてしまう・・・と言う事でした、私の場合は。
だから限界まで離婚を回避する事考えたんです。


  >と、こんなことを言えば、心身が健康な強者の意見だと言われる。


● 実際gizmoさんは、お強いと思いますよ。(笑)
”今の所を”ネットと言う、限られた空間でだけとはいえ、拝見している所では、そう感じます。^^


  >僕が嫌いなのは、鬱病を理由にしてなんでも許してもらおうとする根性です。


● これは私も嫌いです。
欝患者は、「苦しいけどなれあわないで打開しよう。」と思える方と、「あなたに苦しさなんて分からない。勝手な事を言わないで。どうしてこんな病気になっちゃったんんだろ。」と延々と自分の殻の中に閉じこもる”時期を脱していない”方とに別れます。
私は、なれあいは、嫌いでした。
憐れみあっても、何も解決せず、入退院を繰り返す方も多いからです。


  >「鬱病だからしかたない」というのなら、しかるべき場所でしかるべき処置をしてもらうべきであり、


● ↑が、病院やお薬を賢く使う、というものだと思いますよ。
一生ではなく、あくまでも、”一定期間内において”です。


  >厳しい言論の世界であるネットで戯言を言って欲しくない。
というか、論理を戦わせ思考実験する場所で、ウェットなことを持ち込むと遠慮が生まれる。


● 今は私もそう思っています。
ドライな中で、忌憚なく意見を言い合うから、「そういう視点や意見もあるんだ」って発見出来る事が多いですし。
意見が全く同じになる訳が無いのが当たり前ですから。
だから、その中で、たまにウェットの心の通じ合う感覚を頂いた時は、うれしいです。


  >「鬱病の人に『頑張れ』と言っちゃいけないのは精神医療の現場では当たり前のことです」
なんて物知り顔で言われるとムカッとします。
なんでそんなに権威の言うがままに信じてしまうのか。
「それはどうかな?」と一度でも考えたことがあるのか。


● 考える事は、必要でしょうね。
あくまでも参考意見として聞き、絶対的なものとして聞くのではなく。
参考にし、自分でどう折り合いをつけていく努力をするか、だと思います。
ただ言える事は、実際に欝になってみると、変えていこうと決め、努力していっても、無理解な方は、それを邪魔したり、逆行させるように仕向けてくる方もいるっていう事でした。(笑)
そういうのは、無意識でやっているんでしょうから、なんだかな・・・って思いましたね。


  >それではネットのこの場所がもったいないと思うんだな。
ウェットなことはフェイストゥフェイスのリアルでやれ、って思う。
僕の、ずっと前から今でも同じ主旨は「考えろ」ということです。
「果たして自分は考えているか?」そういう自問を常に持ち続けること、病気であろうがなかろうが、それを捨て去れば、人間失格であるくらいに思います。
少なくともその能力を持っているのならばね。


●  ネットの世界では特に、gizmoさんがおっしゃっているものが求められるでしょうね。
ただなあ・・・完治し元に戻って思う事は、当時は考える作業や変えていく努力がとても消耗したって事かな。

  自力だけで解決していくキャパ能力がある方は、いいと思いますが、そうでない場面にいつ人間が出くわすか、分からないと思います。
  私の父はね、努力だけの人で、周りの人も納得する言動をする人です。
だから人に厳しい事を言うけど、誰も文句はいいません。
それだけの生き方をしているからです。
だけどそんな父が一時期だけ、アルコールに依存しました。
酒乱も暴力もありました。
父なりにアルコールに走るだけの理由があったのだろうと思っていましたし、大人になって父自身が、「過去アルコール依存症になったのは、死ぬくらい仕事で厳しい苦しい状況になって、他にも理由はあったけどな、お父さんは逃げてたんだ。
このままじゃだめだと思ったから、アルコールを絶ったんだ。
だから、お前も病気に逃げちゃだめなんだ。
あんたも苦しいかもしれないけどな、結局自分しかないんだ。」と言っていました。
父は脳梗塞で倒れ命も危険になり、脳のバイパス手術も受け、リハビリ1年間しただけで、「よくて車椅子。このままだと寝たきり。」といわれてたのに社会復帰をし、定年まで無事に勤めました。
今は老後に家族に負担をかけないために、毎日数キロ、リハビリのために散歩をしています。
後遺症が残っていて、半身不随だからです。
ここまでしたのは、家族の協力もあるけど、父の意志の強さです。
でも、完全にお酒を断つために、たった二回だけ、お薬を飲んでもいます。
倒れて手術を受け、どれだけの苦しみ味わったか分からないのに、お酒を完全に絶てなかったからです。
医師が処方したのは、ほんの少しでもお酒を飲めば、死ぬような苦しみを味わせるという、ものでした。
それを二度飲み、あとは父の意志でお酒を絶ちました。
↑で書いたものは、さらっとしたほんの一部ですが、酒乱は家庭も回りも巻き込みます。

  父の姿を見てきて、私自身の経験もあり、だから私は、医師やお薬はいらないものだ、とは、断言出来ません。

二箇所の病院での対応の違いも経験し、通院しないで済むならしない方がいいとも思います。
実際、体調が悪いと言うと、どんどん薬を追加し、副作用で運転中に車がふらついて、壊してしまったこともありますから・・・汗。
だから、なるべくお薬を控える方針の医師に変えて、後は自分自身だと思いました。
自力と他力です。

  だから”今現在においての私”の意見としては、悪化するその前に受診⇒自分でも努力して治して行くのが必要、と思うので、医師も薬も要らないと言うご意見には、NOですね。(笑)
ただ、むやみやたらに、それらに依存するのは間違っていると思っています。
それはもたれあいしか生みませんから。

  欝の時期に、散々自分の中の弱さと向き合いました。
治った今、前よりは強くなれたと思っています。
ネットでもリアルでも。(笑)
「だから何なの?」って思う事ありますしね、だからといって、空気嫁大事だから、言う時と言わない時がありますが。


  確かに先人達は、もっと苦しい局面を戦ってきています。
が、やっぱり文献なんかにも、「気鬱の病」って載ってますから、中にはそういうのあったのかもしれませんね。
(仏典にも御書にも、この病載ってますから。)

  ぎりぎりまで努力を引き出せないのが、欝病です。
はっきりいって、異常なんですから。(笑)
(自分は異常なんだって事実に、向き合わないといけないでしょうね。
それを認めて、どうするかだと、思います。)
お薬はその出せなくなったものを、引き出すお手伝いだと思います。
必要なく、カウンセリングだけで済む方は、必要無いとも思いますが。

  
  >ただ、「クスリって危ないぜ」ということを言っている人が皆無になってしまっては、場として健全じゃないかな、とも思いますね。

  
● これはそうでしょうね。
自分の意見を言って、思った事を言い合えるのが健全ですから。

  こどもから聞いたり、学校で実際に聞いたことですが・・・。
今の教育現場、昔と大分変わっています。
多動性障害児等、新聞で読む事ありますが、児童に遠慮しすぎです。
がやがやし、児童がほっつき歩いたまま、学活をし、さようならと言って、その日はおしまい・・・。
切れやすいこどもはすぐに小児科経由で精神科に送り、精神科のお薬を飲ませる⇒結果、よくわからないままに、飲んでいる子は、「飲んできたよー」とまるで自慢するよに言いまくる・・・。
小児科の医師も、「送られてくる児童は、ほとんど問題ない子が多い。」と、送り返す現状です。
私は、厳しさも、優しさも、臨機応変が必要ではないか?と思っているので、今の学校の状況を見て、愕然としました。
結局、我が身だけじゃなく、家族、とりわけ自分のこども達は親が守らないといけないと思いました。

  
  とりあえず、私はこんな意見を持っていますが、gizmoさんのようなご意見も必要だと思っています。
どちらか片方だけでは、偏ってしまうからです。
そして、患者自身が、それらを選択&租借し、自分自身をどうやっていくか、考える事だと思っています。
by:風凛 | URL | #kVP5JqGo【2007/09/22 10:59】 [ 編集] | page top↑
----
gizmoさん、こんにちは。
上記でお名前を打ち間違えてしまってました。。。
スミマセン。

「クスリって危ないぜ」はちょっとおおまか過ぎるかも。
「危ないクスリはどれか」という知識と情報が
大切なんだと私は思います。
by:photochika | URL | #-【2007/09/22 13:36】 [ 編集] | page top↑
--こんばんは。--
>「危ないクスリはどれか」という知識と情報が大切なんだと私は思います。

● photochikaさん、いい言葉を、ありがとうございます。


by:風凛 | URL | #kVP5JqGo【2007/09/22 19:40】 [ 編集] | page top↑
--こんばんは--

素晴らしい!

gizmoさんが医者なら受診した鬱病患者の100人に数人は死んでるな。

鬱病患者は戦っているよ。

原因を取り除く?はっきりした原因が分かっているなら鬱なんかにならないだろ。

南無妙法蓮華経?それじゃあ鬱病は治らないね。

南無阿弥陀仏?これも駄目だな。

ショコ、ショコ、ショウコ~ウ・・・論外だな。

ポアする?・・・死語だな。

「最高ですか!」・・・。

キンマンコ・・・大作だな。

池田?・・・大商人だな。

by:マッキー | URL | #-【2007/09/24 00:26】 [ 編集] | page top↑
--遅まきながら--
欝の先輩として、一つの考え方を述べさせてください。

心の病、と言われるものにも、他の病気と同じように軽症と重症があると思います。
私は自分では軽症だと思っていましたが、今振り返ってみると、かなり重症の時期もあったようです。
ただ、時代が欝と言う病気を認めていなかったので、病院へはかかっていません。そのために、無意味に長引かせたのだろうと思っています。
そしてこの病気について言えることは、心がけ次第ではどうにもならない、と言うことです。どうにかなるなら病気ではないのです。

欝は心の病、と言われますが、では心は何に起因しているのか、と言うことを、考えられた事があるでしょうか。
心の分野は脳の分野です。
欝、と言うのは、何らかの形で脳に障害が生じてしまったものだと思います。だから、考えても、その範囲で精一杯。努力してもその範囲まで、頑張っているのです。でも健康な人から見れば、怠けているとしか言えない所で精一杯なのです。

家族でさえも私を責め続けました。その結果、欝の期間を大幅にながぴかせてしまったのですが、私は信心で治りました。

その瞬間、脳のシナプスが通った、とか、セロトニン、と言われる物質が通った、とか言うのでしょうが、とにかく一瞬で治ったのです。もう二十五年位も前の事ですが、その瞬間の感覚は、今でもはっきりと覚えています。

南無妙法蓮華経は蘇生の義です。
それを自分の命で実感した瞬間でもあるのです。

今になって、なぜ自分が欝になったのか、分かります。でも現在進行形で心の病を患っている人に、それを分かれ、とは言えません。今現在を戦うだけで精一杯だからです。
頑張れ、とはいえません、もう十分に頑張っているのが分かるからです。
だから私は、そんな人にはゆっくりしなさい、と言います。思いっきり自分をいたわってあげるように言います。
欝の人、心の病を得ている人に一番欠けているのは、自分をいたわる事だと分かっているからです。

gizmoさん、心の病を得ている人は、押しなべて優しくされたことのない人です。
その事を考慮する事も忘れないでいて下さい。
by:市丸 | URL | #-【2007/09/30 06:27】 [ 編集] | page top↑
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