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先生になったことがない人にはわからない先生の役割

http://www.1101.com/darling_column/2005-07-25.html
ほぼ日のダーリンコラムより


>たぶん、世の中のほとんどの
>先輩やら先生という「先の字のつく人間」というのは、
>若い人を、高いところに、
>無理やり乗せる役割を持っているのだと思った。


池田「先生」でも、なんでもいいんだけど、
「先生」と呼ばれる人の役割は、これだと僕も思う。
「高いところに無理矢理乗せてやる」ことというのは、
それが無理矢理であるがゆえに、多分、
一定の割合で、恨まれるんだと思う。
「先生」の役割を担う覚悟を持っている人は、
それ理解しているから、何を言われても平気なんだな。


「無理矢理は良くない」なんていう声が聞こえてくるけど、
殻を打ち破るには、他からの「無理矢理」という
機会が必要なことが多いし、有効だと思うんだな。


スキーを上達させるためには、
いつかのタイミングで、リフトで
無理矢理上まで連れて行く。


もちろん最初は恐いだろう。
だけれども、それを繰り返すうちに、
恐さは当たり前になっていき、
結果、上手に滑れるようになる。


スキーが上手に滑れるようになったとき、
教わる側は教える側に感謝するだろう。
「無理矢理、リフトに乗せてくれてありがとう」と。


せっかく教えてあげても、途中で辞めてしまっては、
上手に滑れるようになりはしない。
そのときはきっと、教える側を恨むことになるのだ。
「無理矢理、リフトに乗せられたから滑れなくなった」と。


仏法の文脈でも、同じ事が言える。
退転者というのは、途中で辞めてしまって、
なにも身に付かず、教える側を恨んでいる。
そして、教える側の責めやすい点を突いてくる。
「無理矢理やらされた」と。


「無理矢理」という方法論を否定し封印すれば、
どこかで成長は頭打ちになる。
自己に負荷をかけることで、
少しずつ能力は伸びていくものだ。


ぬるま湯に浸かっていれば、それが当たり前となる。
「おめーら、ぬるま湯に浸かってんじゃねーよ!」
と無理矢理外に引っ張り出す役割を持つ、
そしてそのことによって文句を言われる覚悟を持つ。
そのことが「先生」となる者の資格ではないか。


学会員は、一人ひとりがすべからく、
「先生」となることを目指している。
師弟不二ということはそういうことだろうと、
僕は解釈してるんですけどね。
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【2007/12/06 10:41 】 | 未分類 | コメント(7) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
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結局、学会員は自己価値が低いということをさらけ出している文章ですね。
by:IY | URL | #-【2007/12/06 15:03】 [ 編集] | page top↑
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wwwwwww
by: | URL | #-【2007/12/06 22:32】 [ 編集] | page top↑
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           _人
        ノ⌒ 丿
     _/   ::(
    /     :::::::\
    (     :::::::;;;;;;;)_
    \_―― ̄ ̄::::::::::\
    ノ ̄     ::::::::::::::::::::::)
   (     ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;人
  / ̄――――― ̄ ̄::::::::\
 (        :::::::::::::::::::::::::::::::::)
  \__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
by: | URL | #-【2007/12/09 03:43】 [ 編集] | page top↑
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創価学会信者涙目wwwww
by: | URL | #-【2007/12/09 14:29】 [ 編集] | page top↑
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買ったコロッケ
包み紙が聖教新聞だった。

     Orz
by:kk | URL | #-【2007/12/10 23:43】 [ 編集] | page top↑
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嫌だなぁ
by: | URL | #-【2007/12/15 08:46】 [ 編集] | page top↑
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これオモロイwww

「邪教などは、みんなうまい事を言って、金を巻き上げ、

教祖のために、教団の勢力のために、それも本当に人々を救えるならば許せるけれども、
全部が地獄に落ち、民衆が教祖にだまされ、そして教祖は立派な家ばかりつくり、
民衆は最後には乞食みたいになってしまう。これが、邪宗教の姿です。
創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、
供養を願うようなことはいたしません」  聖教S37,6,16 池田指導
by:学会二世 | URL | #-【2007/12/18 15:39】 [ 編集] | page top↑
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