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なにかで勝て
強くなりたいから努力をする。
上手になりたいから努力をする。
これを僕は絶対に否定したくはない。


自分の強さを知るには、競争が一番ハッキリする。
他人との比較や全体での順位付け。
これらから目を反らしてはならない。


競争から逃げることは、人生から逃げることである。
競争を受け入れ、好成績を撮るために、頑張ること。
そうやって戦い続け、試行錯誤し、自分の力をつけていく。
そして、いつか望みを手に入れる。
望みの自分になるためには、戦い続けるしかない。


嘘つきは「勝とうとするのをやめろ」と言う。
それは、敗者の仲間を増やしたいからかもしれない。
なりたい自分になることを放棄した姿だ。


もっとシンプルにあるがままの方がいい。
勝てば嬉しい。
負ければ悲しい。
だから、勝つために頑張る。
負けないために頑張る。
それでいいじゃないか。


もっと言えば「勝った」「負けた」と
喜んだり悲しんだりするのが、
人生の醍醐味ではないか。
おもしろく生きるとはそういうことだと思う。
それを「優越感を満たすため」などと決めつけ、
もっともらしく蔑むから、偏頗になっていく。


今の日本は幸せなことに、
勝ち負けのベクトルが無数に存在している。
商売で勝つ、趣味で勝つ、スポーツで勝つ、などなど。
なんだっていい。
なにかに勝つことが出来れば、自信がつく。
自信があれば、なんでも出来るようになる。
自信さえあれば、苦境に耐えることも出来る。


シンプルに世間を眺め考えてみよう。
勝つことの出来た人間は人格者だ。
負けぐせがついた人間は卑屈である。
(逆に言えば人格者でない者は、
実は勝つことが出来てないとも言える)


なにかで勝て。
努力して勝て。
そのときに、はじめて人の気持ちがわかる。
人の涙の意味がわかる。


そしてその先の、
人の生きる意味、人の生きる目的も、
きっとみえてくるだろう。
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【2008/01/21 10:21 】 | 未分類 | コメント(5) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
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その通りだ。だが創価学会員である必要はないな。
by:gizmooo | URL | #-【2008/01/21 15:42】 [ 編集] | page top↑
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嘘がバレるから
信者はネット禁止
by:池田大作 | URL | #-【2008/01/22 23:19】 [ 編集] | page top↑
--己に勝つ--
こんにちわ。
こちらには、一昨年の夏に少しばかりお邪魔させていただいた事があり、現在はシンパ・アンチを問わず、所謂この界隈と呼ばれている住人のほとんどと縁を切っているはみ出し者&無宿者のドプチェクです。
今日は、ちょっとだけお邪魔させていただきます。

勝ち・負けの基準をどこに置くかで、ずいぶんと意味合いが違って来ると思いますが、ただ、最も大事なのは、何よりも己に勝つという事になるのではないかと。
少なくとも、スポーツ等の明確な勝敗を争うものにおいては、何よりも相手を倒して自分が勝たなければならないのは言わずもがなですけど、しかし、勝利を得る為なら、目的を達成する為なら、手段を選ばず、どのような事をしても良いのか?となると、私に言わせれば、NO!ですね。
人によっては私のような考えは、ただの綺麗事の類や甘ちゃんの戯言ぐらいにしか聞こえないのかもしれず、世の中には、色々と卑劣な行為、悪どい事をしてのし上がって行った人間が、大勢存在しているのが現実ですから。
私が若い頃の一時期憧れていた空手の大山倍達氏は、著書の中で、「目的の為なら、手段を選べ」と述べていましたし、また、大山氏をモデルにした梶原一騎氏原作の漫画「空手バカ一代」の中で、主人公が「醜い勝利もあれば、美しい敗北もある」といった台詞を口にしていたのが、今でも印象に残っています(漫画の方は、梶原氏によるフィクションだったのかもしれませんが)。
一昨年夏の全国高校野球大会の決勝戦で相対した早稲田実業VS駒大苫小牧は、お互いに正々堂々と全力を尽くして戦い、勝敗に関係なく、大きな感動を呼びましたよね。
逆に、昨年、プロボクシングの世界タイトルに挑戦した某選手は、卑劣な反則を犯してまで勝とうとして、試合終了後も勝者を称える事なく、さっさと引き上げてしまった為、大勢の人たちから憎まれ、バッシングされる羽目に(あの一件に関しては、某選手とその家族だけではなく、周囲の人間・関係者たちの責任も大いに問われて然るべきでしたが)。
どこかの団体の場合、ただ単に勝ちさえすれば良い式の人間が多く、彼らにはモラル・礼節・品性・潔さといったものが頗る欠如していると言わざるを得ず、その意味では大いに軽蔑しています(無論、彼らの全員がそうだというわけではなく、また、これは何もあそこの事に限った話ではありませんが)。
確かに何事においても勝たなければならないし、負けるのは悔しい。
しかし、同じ勝ちでも、仮に卑劣な行為・不正によって得た勝利の場合、何とも言えない後味の悪さを覚え、心の中で後ろめたさを抱いてしまうのがマトモな人間でしょう。
また、正々堂々と自分の実力で勝利を得た人間の場合でも、ただ単に「おれは強い」「おれは偉い」と己の力を誇示するだけではなく、「あいつもよくやった」「あいつがいたから、おれは頑張れた」と、相手を称える事の出来る人間の方がスケールが大きくて、立派だと思いますね。
凡人には真似の出来ない境涯ですけど、日蓮聖人の場合、自らを迫害した人間たちの事を「仏になるべき第一の味方」(「種々御振舞御書」)とまで。
34、5年前に放送されたテレビアニメ「空手バカ一代」のエンディングテーマ「空手道おとこ道」の歌詞で、「己れと敵とに虹かけて」という部分があるのですが、あの部分は今でも好きですね。

http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/KarateMichiOtokoMichi.htm

このような事を述べると、敗者を変に擁護・美化し、勝者にケチをつけている(嫉妬している?)という風に捉えられてしまうのかもしれませんけど、同じ負けでも、評価されるに値するのは、飽くまで勝ちを目指して最大限の努力をし、全力を尽くして正々堂々と戦った人間だけだと。
最初から、「別に勝たなくてもいい」「負けてもいい」「勝ったら勝ったで儲け物だ」といったいい加減な気持ちで臨んだのでは、決して良い結果は生まれず、ましてや、第三者から評価されるわけがないと思います。
敗者が評価されたケースは、結果的にそうなったのであり、当事者はそのような事など考えず、ただひたすら、勝ちを目指していたと。
負けても、正々堂々と力の限りを尽くした場合、本人は負け自体は残念でも、自らの力を出し切った事に関しては悔いはないと、そのように思う人が多いようです。

こちらの主旨から外れてしまったのかもしれませんが、勝ち・負けについて私が昔から思っている事を述べさせていただきました。
長々とすいませんでした。
それでは、これで失礼させていただきます。
by:ドプチェク | URL | #PikvLR5I【2008/01/26 08:26】 [ 編集] | page top↑
--ドプチェクさん--
  gizmoさん、こんばんは。
この場を少し、貸してください。m(__)m

  ドプチェクさん、お久しぶりです。
その節は、ありがとうございました。m(__)m
(すみません、私、ブログ関係では、名前違くなってます。)
私、あっちの界隈は、行ってないので、ドプチェクさんどうしているかなぁと、思ってました。
相変わらずの長文を拝見し、お元気なんだなーと、分かりました。^^
よかった。
私は自分のペースで、ネットしてました。

  また、どこかでお会いしましょう。^^
by:風凛 | URL | #kVP5JqGo【2008/01/26 21:36】 [ 編集] | page top↑
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by:みんな の プロフィール | URL | #-【2008/01/31 01:22】 [ 編集] | page top↑
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