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宗教と愛と絶対と。不毛にコネコネしてみるテスト。
宗教っていうのは「イズム」であり、「思い入れ」であり、
「愛」なんだよなぁと思う。
まあいろいろな側面を持っているものなんだけれども、
結局「なにを愛するか」ということだと思うんだよ。


人によっては、家族こそが御本尊だろうし、恋人こそが御本尊だろう。
それは「絶対」なわけです。
「絶対」大切にしたいもの。
仏教的に言うならば、「絶対」を設定出来ないことはわかってる。
だけど、そこで敢えて「絶対」って言いたい心が、人にはある。
僕はそれを否定したくない。


「『絶対』という言葉は使っちゃいけない」という人も居る。
まあ言葉のあやなんだろうけれども、
僕は「絶対」という言葉を使うことを禁じ手としたくない。


自分の子供にむかって
「私はあなたを『絶対』守ってみせる」と言う。
そんな愛の言葉を否定したくはない。


学会にはいろんな学会員がいるけれど、
「池田名誉会長を『絶対』守ってみせる」
って人もいるわけだ。
だとすれば、はたしてそんな思いを持つ学会員を、
一概に否定出来るのだろうか?


自分の子供かわいさに、自分の子供をひいきする親。
この親を責められたものだろうか?
「あらゆるひいきは良くない!」
とかやり出すとやっぱそいつは厨でしょ。


親は子供かわいさに、子供をひいきする。
学会員は学会員かわいさに、学会員をひいきする。
構図は同じような気がする。
ゆえに「学会家族」という言葉が存在する。


親の子に対する、ひいきを認めたとすれば、
学会員の同志に対する、ひいきも認めてよいはずだ。
となると、結局は程度の問題になっちゃうんだな、これが。


同志がいじめられてる事実を知れば、やっぱり声も荒くなる。
相手に犬畜生とも叫びたくなる気持ちはわからんでもない。
事実を知らない人からみれば、ただの口汚い言葉にしか映らない。


過剰なひいきと、適切なひいき。
どこで線をひくのか。


言葉にするということは定義をするということで、
割り切れないものも割り切って考えることになる。
でも、こんなの線引き出来ないよねぇ…。


ちなみに、「絶対」に似た言葉に「永遠」がある。
自分の最愛の人にむかって
「君との愛は『永遠』だよ」と言う。
そんな愛の言葉を否定したくはない。
「永遠なんて無い」と言い切っちゃうところに愛はないだろう。


「愛」が、なにかとトラブルの原因になる。


「宗教思想によって悲惨な戦争が起こされた事実はあるが、
宗教思想によって悲惨な戦争が収められた事実はない。」
というくだりを思い出したんだけれど、
「宗教思想」を「愛」と差し替えることも出来そうな気がする。


「愛によって悲惨な戦争が起こされた事実はあるが、
愛によって悲惨な戦争が収められた事実はない。」
書いてみて思うが、その通りのような気もしないではない。


じゃあ、「愛っつーものをなくそうぜ」ってことが人間に可能か?
広義での戦争、つまり争いごとは、「愛」ゆえに起きる。


仏教は「執着を捨てよ」という。
「愛」こそ、執着の最たるものだ。
じゃあ「愛を捨てよ」ってことになっちゃう。


まあつまり、「執着はしちゃいかん」というタテマエがあって、
それでも愛してしまうホンネがあることが、
人間の人間たるゆえんがあるわけで。


あなたの向うであの人があなたの
片手を強く抱きしめている
このまま私が手を離さなければ
あなたの腕がちぎれてしまう
それが辛くて手を離すそんな
愛し方しか出来ずに ごめんなさい
(さだまさし『forget me not』)



手を離すことが愛か。
手を握り続けることが愛か。
腕がちぎれちまったら本末転倒だわな。
でも、じゃあだからといって手を離しちゃえば、無くなってしまう。
「だったらいっそのこと心中する」って愛のカタチもある。
自爆テロってそういうことだよな。


「愛」が一番残酷で、一番哀しくて、
使い方しだいで、毒にも薬にもなる。
悲惨な戦争は、愛によって起こされるけれども、
なにによって収められるんだろう。


愛を信じるものとしては、
「やっぱ愛しかないのかなぁ」なんて思っちゃうわけ。
だって、愛はヤバイって言われても、愛しちゃうもん、俺。
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【2005/10/30 11:42 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
--うん--
争いは愛によってもたらせるものだとしても。
収められるのも、やっぱり愛なのだと私も思います。

平和を願がわない人はいない。
それなのに争いが起こってしまう。
そこに矛盾と言うか、寂しさを感じてしまうのでしょうか。
by:ぽむぽむ | URL | #-【2005/10/30 13:46】 [ 編集] | page top↑
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