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ニッポン人と、創価人と、エセ国粋主義者と、エセ仏教者と
さだまさし関係でネットサーフィンしてたら、こんな記事をみつけた。

「前夜(桃花鳥)」-さだまさし-


そういえば友達はみんなAMERICA人になってゆく
いつかこの国は無くなるんじゃないかと問えば君は笑う
馬鹿だねそんな風に 自然に
変わってく姿こそ それこそ この国なのよ
さもなきゃ初めからニッポンなんてなかったのよ
(さだまさし『前夜(桃花鳥)』より)



エセ国粋主義者が、
日本の精神が云々、国益が云々と主張するけれど、
最近は俺も「初めからニッポンなんてなかった」って思う。
俺もAMERICA人になっちまってる。
日本の歴史を眺めると、時には中国人に、時にはアメリカ人、
多面性を持ちながら、そう、舌を何枚もはやしながら、
なんとかうまくやっていく姿こそ、ニッポン人なんじゃないかと思う。


創価人だって、アメリカ人になったり、中国人になったりしてる。
そもそも、ニッポン人が、創価学会に染まっているだけなんだ。


宗教なんてものは、要は染料でさ。
その染料にどっぷんと浸かれば、その色がついちゃう。
二世三世は、そもそも生まれたときから色がついてるんだから、
わざわざ洗い流すこともなかろうて、と思う。


四角い場所に入れば四角く、丸い場所に入れば丸く、
そういう風に柔軟に生きていくことが仏教の教えなんじゃないか。


ある特定の時代の仏教を指して、
これこそが本当の仏教だと主張する愚かさは、
ある特定の時代の日本を指して、
これこそが本当の日本だと主張する愚かさと似ている。


伝統仏教が滅びようと、創価学会が栄えようと、
仏の法は世界に遍く満ちている。
看板が変わっただけ。呼び名が変わっただけ。
人の愚かさも、人の優しさも、変わらない。


仏の教えは、特定の宗教に分類されないからこそ、
宗教間の軋轢を解きほぐす可能性を
持っていると言えるのではないか。


学会員の子供は学会員。共産党の子供は共産党。
それぞれ「俺が正義だ」「俺が正しい」って言ってる。
学会の子として悩むのではなく、棚上げしちゃえばいい。
目の前の課題に取り組んだ方が建設的なんだ。


世間で言うほど、人は人をラベルで判断しない。
ラベルを気にしているの実は本人だけ。
たとえ「俺、学会員なんだ」「学会の子なんだ」と、
カミングアウトしたって、
本人の人格がまともであれば信用される。


確かに、学会組織にはまともじゃない人が多いと、
俺の目から見ても、思う。
でも、組織の中で一人ひとりが「まともになろう」と、
現実の中でもがき苦しんでいるところを評価する。
弾の飛んでこないネットで吠えてるよりは全然マシだと思う。
学会組織は「まともじゃない人がまともになる」ために
訓練される装置だ。


昔は「病人と貧乏人の集まり」だった。
今は「精神を病んだ者と、成金の集まり」だと思う。
それは日本の社会に、精神を病んだ者と、成金が多いせいだ。
創価学会は、社会のニーズに合わせて、主眼と目的を変える。
それは悪いことではないと僕は思う。
無常は仏教の基本でしょう。


「精神を病んだ者」と「成金」が、
いかに、人間的に豊かに生きられるか。
これは現代の日本のテーマなんじゃないか。
でも、そのカタチは人それぞれ。
創価学会は「人それぞれ」を許さない組織ではない。


金を持っているからといって、
それだけで幸せだと思うのは、さもしいと俺は思う。
だけれども、金とか物とかを持っている者を、
ひがんで勘ぐり、とにかく足を引っ張ろうとするのは、
もっとさもしいと俺は思う。


創価学会の「まともになるための訓練」を、
ドロップアウトした者が、金と物の尺度で、持てる者をやっかむ。
金持ちは悪いヤツとか言う負け犬のひがみ根性は、
どぶに捨てて欲しいと思う。
捨てられないなら、創価学会あたりで、
訓練を受け直したほうがいいんじゃないか。


まあそもそも、それも「人それぞれ」なのだが…。
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【2005/11/24 11:41 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
--創価学会は仏教か--
創価学会は学会であって仏教ではない。もし仏教であればやはり、人の愚かさは変わっていくものです。

組織にいるから精神が病む。これがシステムの道理。

信仰は個々のもの、神と共に、自然と共に、宗教から得る情報を自らの意思で消化し、自らの血となり肉となって、自らの人生の生き方を定めるのが改革であります。

主の教えは人間にとって大切なものですが、組織の方針に従う信者のあり方は人間的では有りません。

光は全宇宙をくまなく照らし、決して別け隔てることはしない。

自由であり、平等であり、開放であります。

       ノロカメでした。まる
by:ノロカメ | URL | #AYv/byLQ【2005/11/24 16:37】 [ 編集] | page top↑
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