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「芯」はあるか?
あらゆるすべての事柄は、
言葉を使って後付で説得力を持たせることが出来る。
俺ですら出来る。
単なる「読者」の視点でいると、
それぞれの言説が全て正しいような気がして、
見聞きした全ての言説に矛盾しないように、
また、全ての発言者を傷つけないように、振る舞うことになる。
それが、結果としてその本人の自由を縛る。


特に、その人がいわゆる「善良」であればあるほど、その傾向は強い。
どちらかといえば、善良の反対である悪は、
どこかで見切りをつけることを知っているから、
自分の思うままに振る舞い、結果、
意外といわゆる「無作」となることが多いように思う。


悪を自認しない、いわゆる「善良」な者こそ、
真の悪と言えるのかもしれない。


無邪気な善人が一番人を傷つける、そんなケースも多い。
善人に何か正論を言われては逆らえない。
言われた者は逃げ場がなくなり致命的となる。
悪人が正論を言っていたとしても、悪ゆえに、
「あいつは悪人だから別に何を言われてもいいや」
と思わせることが出来る。
自説の説得力を自ら減じ、逃げ道を作ってやることでもあるのだ。


他人の意見を参考程度に聞いて自分で咀嚼して、
取捨選択することは感心なことだ。
だけどそれは、まともな「芯」の通った人間にしか
出来得ないのかもしれない。


「芯」が通ってないと、人を敵に回して平然としていることが出来ない。
人が傷ついている事態に遭遇し、オロオロと狼狽することとなる。
「芯」の通った人間は「人を傷つけてあたりまえ」くらいの覚悟がある。
もちろん「自分も傷つけられてあたりまえ」の覚悟もある。


「芯」は何によって作られるのか?
なにかしらの当事者意識を持った体当たりの経験からしか、
その人の「芯」は作られないのではないか、と俺は思う。
だとすれば、その体当たりの経験の一手段として、
学会活動を俺は肯定する。


普通は(敢えて「普通は」と言おう)大人になるまでに、
その「芯」が作られるはずだ。
でも不幸なことに、「芯」が作られずに大人になる者が多い。
現代社会においては、特に多い。
「芯」のない親に育てられる子は不幸であろう。


ネットで中途半端な言説にまどわされ、
ますます「芯」を見失うよりも
(「芯」を持っていると自認している者ほど、
実は持ってない場合が多い)、
現実の世界で、当事者意識を持って、
なにかしらの活動をするほうが建設的だ。
たとえそれば、創価学会の活動であったとしても。


ネットで愚痴を吐き、言論だジャーナリズムだと
空しいオナニーをするよりも、とっとと現実に戻り、
なんでもいいから活動をしたほうが、その人のためだ。
たとえそれが学会活動だったとしても、
ネットで活動した気になるよりはマシである。
大人になるまでに培われなかったものを、
学会活動で初めて培われるかもしれない。
それでいいじゃないか。


「芯」の通った人間にとっては、創価学会は無用の長物である。
しかし、「芯」を未だ獲得し得ぬ者にとっては、
便利な装置であると思う。
便利な装置なら、使えばいい。


「芯」というのは、「信」のことであり「自信」のことである。
創価学会を通して「自信」を獲得出来るなら、それでいい。
「自信」が感じられるまで、
がむしゃらに活動してみることも一つの手段だ。
「自信」を獲得したその上で、離れるのか、ついていくのか、
それは自分の判断で決めればいい。


「芯」の無いまま外部に出ると、
なんでも社会や人のせいにすることになる。
不幸のヒロインとなって自己満足するのは
「芯」が出来ていないからである。
世間に対して愚痴を言うなら、まだ「自信」がない証拠だから、
組織に訓練してもらってればいいのだ。
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【2005/11/24 12:04 】 | 未分類 | コメント(7) | トラックバック(0) | page top↑
<<仏法は勝負 | ホーム | ニッポン人と、創価人と、エセ国粋主義者と、エセ仏教者と>>
コメント
--芯 自信 --
gizumoさんこんにちわ。いつも興味深い記事ですね。

芯とか信とか自信は、自己確立とかアイデンティテイの確立とか
明確に目標に掲げられてるのにそれに向って活動してるようには見えへん!
本を読めとか知識を智慧にとかいわれてることしてないような。
(僕の学会員サンプルは社内の学会員だけなんですけど。)
たぶん、いわゆる学会活動(選挙とか)と自分自身の活動がごっちゃになって
してるつもりになってんねやろね~。

簡単なことから始めたらええのに~といつも思う。難しい事違うよ~。
取説読んで機械のクセ知ってるだけでも自信になるのにな~。
仕事で実証が実は一番簡単なんやと思うけどな~。
by:三九郎 | URL | #-【2005/11/24 15:30】 [ 編集] | page top↑
--一切世間の治生産業--
学会系書物をちゃんと読むと、
おかしなことが書いてあるわけじゃ
ないんですよね。


実は、読めば読むほど、
身につければつけるほど、
「自立出来たら学会活動から離れなさい」
というメッセージが伝わってくる。
まあやりたいならやればいいんですがね。


「今自分の居る場所で勝利せよ」という
メッセージは学会活動に限ったことじゃない。
おかしくなっちゃってる活動家っていうのは、
書物を読まないか、読解力がないか、
どっちかのような気がします。


「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」
だと思うんですけどね…。
by:gizmo | URL | #-【2005/11/25 09:23】 [ 編集] | page top↑
--御みやづかい…?--
御みやづかい…?

分からんから、隣の女子部に解説してもらいました。
今やってる仕事とかに立ち向かうのが
法華経の兵法を用いることという解釈でいいんかな?

でも、取り方ですよね。
すごいしんどいとか、いやいややってて、
意見されたり、注意されたりしても、
「おおこの批判とか迫害されることこそ法華経の行者の証明」
とか勘違いされたらもう救いようがない!
どうしたらうまいことやれるかとか、立ち向かうことが法華経や。
うまいことやったら社会で実証になるんやん。

そのうちええことがあるとか思うたら他力になってるやん。
by:三九郎 | URL | #-【2005/11/25 10:03】 [ 編集] | page top↑
--「芯」はあるか?について思うこと--
 gizumoさん、こんばんは。とてもいい文章だと思います。そして全く同感です。
 あらゆる事柄に対して自分なりの意見や見解、概念を持っていてそれを議論できる芯のある人間は、現在の日本では(特に日本人)、少ないと思います。私が思うに人間が生まれて来るのは、自分の命、心をよりよくするためや、向上するためではないかと思います。ですから学会活動にしてもその人に必要であるからしていると思うし、学会員であってもその人の人生の修行(があるとして)に必要ないなら、しなくても人生向上できると思います。仏教的解釈と言うより、仏教の輪廻転生という考かたとしてとか、人間として生まれてきた、意味を考えたいです。
by:子供大好き | URL | #-【2005/11/27 02:12】 [ 編集] | page top↑
--子供大好きさんへ--
コメントありがとう。
「生まれてくる意味なんて無い」って言っちゃうのは簡単だし、
もしかするとそうかもしれないけれど、それを認めると、
やる気なくなっちゃうような気がするんですね。
生きてる以上、おもしろく生きていたいし、
目の前の人の笑顔が見たい。
漠然とした思いだけれども、悪くなるよりも良くなりたいよなぁ。
by:gizmo | URL | #-【2005/11/27 06:03】 [ 編集] | page top↑
--はじめまして--
どうもです。芯の話はとても共感できます。
どこかで聞いた話ですが、かのソクラテスは「ただ生きるのではなく、よく生きること」と言ったといいます。人格の完成はありえなくても、それを目指し続けることが良い生き方でないかと思います。
創価のやることは、実際それに近いのではないか。最近そう感じます
by:青い羽 | URL | #-【2005/11/27 22:06】 [ 編集] | page top↑
--青い鳥さんへ--
はじめまして。よろしくです~。
理想を持って、それを目指して前に進むのなら、
その姿勢自体が、理想の姿かもしれませんね。
凡夫即極ってのは、そういうことだと思うんです。
まあ、理想にがんじがらめにされるくらいなら、
理想を捨てるのも一つの手だと思いますけどね(w
by:gizmo | URL | #-【2005/11/30 13:03】 [ 編集] | page top↑
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