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聖教新聞の使い方
最近読んでなかったんだが、久しぶりに聖教新聞を眺めた。
聖教新聞には、特におかしなことが書いてあるわけじゃなく、
あたりまえのことが書いてあるように思う。


あたりまえのことがあたりまえに出来れば、その人はまともな人だ。
でも意外と、あたりまえのことを忘れずにいるということは難しい。
そこで役に立つのが聖教新聞。
日々、あたりまえのことを目にするだけで、
あたりまえのことを忘れずに済むという効用がある。


聖教新聞は、あたりまえのことを、
やさしく気取らず、誰にでもわかるように書いてあるように思う。
熟読する必要はない。
やさしいゆえに見出しだけ見れば十分だ。


教義的なこと、つまり日蓮に関することは読み飛ばしていい。
組織を守るための、まあ機関紙的な部分も読み飛ばしていい。


アンチ的色眼鏡で見ないようにすれば、
学会員でない普通の人が読んでも、
人として大切なこととか、心と身体の健康のこととか、
人間関係のこととか、あたりまえのことが書いてあることがわかる。


「うん、こりゃ間違ったこと言ってないわ」
そういうことだけ読んで、自分の行動に採用すれば良い。
どんな書物でもそうだけど、文章はヒントに過ぎないわけで、
それをどのくらい採用して、判断して行動を決めるか、
というのは、本人の決断なんです。


聖教新聞の言う通りにしなきゃならない筋合いなんて
なんにもないんだし、
普通の新聞と違うからといって、蔑む必要もない。
使えるなら使えばいい。それだけなんだよな。


もちろん、これもあたりまえなんだけど、
読みたくないなら読まなければいいし、
取りたくないなら取らなければいいと思いますよ。
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【2005/12/12 13:32 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
--gizmoさんへ--
さすがっ(^o^)丿
by:ヤマト | URL | #fb7xNeB2【2005/12/12 20:02】 [ 編集] | page top↑
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